新有馬フレンズHP&BLOG

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有馬フレンズ公式WebSite

少年野球「晴耕雨読」BLOG

☆有馬フレンズ チームプロフィール ☆

当チームは、昭和55年有馬地区で結成され、今年で創部32年目を迎える軟式少年野球チームです。毎週土・日曜など有馬小と西有馬小の校庭を中心に元気いっぱい練習していますが、お父さんお母さん達も子どもに負けないくらい一緒に野球を楽しんでいます。子どもをサポートする大人同士のチームワークもバッチリです。
活動内容は上記練習のほか、宮前区の各種大会(年間5~7)や他の大会に参加しています。また野球以外には、夏合宿やボーリング大会などのレクリエーションなども盛んに行っており、子どもたちの交流も楽しそうです。
「百聞(文)は一見にしかず」
親子はもちろんのこと本人だけでもOK、是非一度グランドへ遊びに来てみませんか。いつでも歓迎します。(練習や試合の時間・場所などご確認の上お越しください。)
過去の主な成績
★川崎市および宮前区各種大会において、優勝・準優勝多数
★マクドナルド杯神奈川県大会:優勝 
★全日本学童神奈川県大会:準優勝
★関東団地野球リーグ:優勝     
★川崎北シニア藤峯杯:優勝
※所属 宮前区少年野球連盟 
※チームは小学校の活動とは関係ありません

2014年4月28日月曜日

ルーズベルトゲーム


※少年野球「晴耕雨読」から転載
ざっくり、さくさく、俊敏かつ簡潔に防犯大会初戦VS宮崎台シャークス戦なんである。
第一公園での第一試合ゆえ始球式は県議のMochidaさん。往年の江川ばりの胸を張ったピッチング。

シャークスのマウンドは主将Saitoh君、対するフレンズ先発はRui。試合前からこのゲームは3人の継投で行くと決めていたようだった。(後日談)また先発メンバーにセカンドKyousukeを大抜擢したのも、理由あってのことで、これもあとから聞いた後日談ではある。

F軍は1回2点2回1点3回2点と、小刻みに得点の5:0。5回には一挙7得点で大会規定により12:0の5回コールド勝ち。久々の快勝である。
特筆は3人の投手がそれぞれの仕事をしてピシャリ無安打0失点にしたこと。
主将のYuusukeが体調不良でベンチウォーマーに甘んじたものの、4番のHiroが4打数4安打、2本の二塁打2打点の獅子奮迅。安打のうち一個は相手失策かと微妙だったが、筆者が親であったなら息子にヒットを付けはしなかっただろうけれど、勢いで安打にカウントした結果だ。5番のYuiも綺麗に弧を描くクリーンヒットを連発。打撃の質はHiroを上回るものだった。3の2で3打点なんであった。Kyouも3の2安打。ベストプレイヤーはこの3人。


筆者スコアラーしながらの広報班でいつものカメラ片手のスタイル。
丘の上スタンドを仰ぎ見れば、おお〜いるいる、ヤングKurosu監督、松風コーチ兼5年連合艦隊総司令官監督Abeちゃん、ヤングIshikura、Yamamoto両コーチ。なんだか楽しそうに話していた。今にもビール片手にフランクフルトをかじりそうな雰囲気である。
たとえ勝っても慢心してはいけない試合である。けれど勝つことの喜びを味わうことは、何にも増して選手、父母、指導者の気持ちをひとつにさせる、かけがえのないものだ。

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ここで終わらないのが少年野球「晴耕雨読」なんであることは、前回ブログでも使い古した言い回しではあるけれど、またやっちゃうんである。
楽しみにしていたTBSドラマ「ルーズベルトゲーム」を観た。
ああ、面白かった(^-^)
会社の存亡と野球部廃部の危機を両軸にして、そのどちらも面白く、絶妙にリンクしながらストーリーが進むわけで。同時進行で原作小説を読んではいるけれど、TVのほうが早そうだ。筆者読むのは遅いほうなんである。銀行がらみの中小企業の葛藤も、半沢越えに肉薄する造り。キャスティングも半沢とカブリが多いがそれもまた一興か。
かつての栄光の常勝社会人野球部が今は凋落の憂き目に遭う存在。それが大逆転を目指して話が展開していく様は、まるでうちの名門有馬フレンズの「古豪復活」を夢想する自分に重なって、なんとも痛快なドラマであった。「半沢直樹」を越えるかどーかはどうでもいいけれど、来週からも楽しみに観ていきたいと思っちゃうのであった。

2014年4月27日日曜日

防犯大会ウォーリーを探せ


※少年野球「晴耕雨読」から転載。
それにしてもすでに2014年防犯大会なんであった。
春らしい絶好の野球開会式日和。先日スコアブックのExcel集計ソフトを北海道の少年野球スコアラー母に送った。網走のチームだった。メール文面では当地はまだまだ雪かきをしてグランドの土を露にするのに父母が大奮闘で、翌日の筋肉痛が辛いと。網走では公式戦は5月になってからなのだそうだ。改めてニッポンは縦長で四季の豊かな国なんだなと実感すると同時に、関東の川崎ではこんなうららかな春の日差しで野球が出来ることに感謝。

開会式なんである。
宮前でもとても歴史のある、しかも上部大会に繋がる重要な大会だ。年季の入った優勝旗に2枚の我がフレンズの短冊を発見。このうちのひとつは筆者の息子時代だった。あの頃はオヤジコーチとして燃えに燃えた記憶が蘇る。今の自分がこうしてOBコーチとして少年野球に関わっているのも、あの時のあの瞬間があったればこそ、なんである。
バッターのトロフィーが3個並んだところをボカシをかけて撮影。なんか生きてるみたい。

春季のように全チームの入場行進はゴメンナサイなんである。適当に抜粋しつつ編集。
花の台フラワーズが本塁をターンした時、筆者の周りの父母たちから自然発生的に拍手が湧き起こった。ファインダーを覗きながらなんだか心の底がほっこりした。

入場行進はぐるり内野を一周するわけで。それを丘の上から見てるうちに、4年前にブログに載せた画像を想い起こした。これってアレみたい。オランダの画家、トリックアートのMCエッシャーの騙し絵みたい。

宮前に縁(ゆかり)のある市会議員、県会議員、衆院議員のお歴々。片や、ネット裏では連盟事務方が真剣ピリピリムードで緊張の趣。かつて各チームの父コーチだった彼らは、今でも母体チームを離れつつも、こうして連盟の裏方に粉骨砕身なんである。若い父母たちは知らないかもしれないが、こんなOB裏方諸氏も宮前少年野球を支えているんである。審判団もしかり。感謝。


恒例となった1塁側丘の上スタンドのギャラリー活写。
イタズラココロがむくむく、夏の入道雲のように。昔流行った「ウォーリーを探せ」的にどこかにウォーリーを忍ばせてみた。ぐふふ、ワカルかな?
※クリックで写真拡大。

更に指導陣の列を撮ったついでに、同じくウォーリーを配置。こちらは比較的に簡単に発見出来るはず。

まだ防犯?もう防犯?......歳を経るごとに後者寄りの感慨にふけってしまう筆者なんである。
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さてここで終わらないのが少年野球「晴耕雨読」なんであるのはもうご周知のとおり。
今日はビールののどごし爽やか絶好のオヤジ呑み会開催日和なんであったが、奇しくも今晩は「フレンズ母呑み会」の日なんであった。然るにいつもは呑みに出かけるオヤジどもは、家でおとなしく子どもたちと留守番の使命を帯びていたんである。互いの家庭で子どもを預かったり預けたり...。
GW中に新人入団のオヤジの歓迎会を兼ねて呑み会をやっちゃおうと誓って、各自オヤジは夕まぐれの闇に呑まれていくのであった。
このブログ写真編集をちょうど終えた頃、母マネでお祭り騒ぎ大好き母のOhmori母から、母呑み会の有馬美女軍団写メを受信。筆者すかさず返信。
「ブログ強制掲載執行決定!」有無を言わせず載せちゃうのだ。上が「ヘン顔」で下が普通の写真らしいが、ブログに載ることを察知して、自身の保身と自己防衛本能を発揮して、「可愛いヘン顔」で対応した母もいたらしい(^-^)


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さてここで終わらないのが少年野球「晴耕雨読」なんであるのはもうご周知のとおり、PART2。
このままブログ書くか、明日にするか、TSUTAYAの映画を観るか、いっそ寝るか迷っていたら、連盟事務局Nishimuraさんからこれまた写メを受信。試合中にスコアやりながら写真を撮るスコアラーというような文面にて....。
せっかくなので、こちらも掲載(^-^)
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2014年4月23日水曜日

一斉清掃三人組


※少年野球「晴耕雨読」から転載。
白幡台イーグルスとの練習試合であった。
ちなみにイーグルは鷲であり、ホークは鷹なんである。
ついでにマーブルは大理石であり、グラニットは花崗岩なんである。
さらにバレンティンはヤクルトであり、バレンタインはロッテなんであった。

初回有馬友達軍は四球で走者を出すも盗塁刺で結果三人で攻撃を終了、その裏白幡台鷲軍は四球失策がらみで走者を三塁まで進めるも、続く一斉清掃三人組は三振と遊撃直飛にて敢えなく無得点。鷲軍の先発投手は身体小柄なれども、鋭い低めの直球が終始冴え渡り、友達軍は最後まで苦戦を強いられることになるとは、この時点で誰が想像していたであろうか。

零行進で迎えた四回表、四番BigCastleが左前初安打で出塁すると、投から二捕逸の間に待望の先制点。
しかしその裏鷲も同じ四番打者の意地かUnderRiver君も友達軍から初安打、続くBush君も連打で続き、YoungerBrotherUnderRiver君の犠打や失策で同点に追いつく。
五回裏には一番NewWarehouse君以下三人が友達軍の四球失策暴投などの乱調により一挙三得点で逆転す。

友達軍は四番BigCastleがこの日二本目の単打を連発し、VambooInの二塁打もあり、代打にRichHillやWoodVillageを起用するも零得点。終わってみれば五対一の不甲斐ない結果となった。筆者RichIslandは途中からBigForest父に野球記録者を一任し、写真機片手に水泳場の「鴨の親子」を撮ったりと、広報活動を行っていたんである。最後の写真は両軍長椅子基地と友達軍の名誉顧問GoldRicePaddy指導者なんである。

おおおおお〜疲れた!
あんだって?読むほうも疲れたってか。
お気づきであろうか。そーなんである。全てカタカナを排除したんである。まるで暗雲たれ込む第二次大戦中の情報統制下における外来語禁止だった日本のように。その代わり普段このブログでは個人名を英文表記にしているところを、逆に無理矢理人名を英文にしちゃったんである。

もし好評を博せばいつかまた挑戦しなくもないが、普段の5倍の労力と疲労困憊を覚悟せねばならないのだった。
最後に、タイトルにも付けた「一斉清掃三人組」の意味は、野球好きならすぐ分りますね?
たまった走者を一発で、一斉に綺麗に掃除するようになくしてしまう、3,4,5番打者のことなんである(^-^)/

2014年4月21日月曜日

野鳩の次は野鴨カモ?

※少年野球「晴耕雨読」から転載
きょう日曜は午後の練習試合VS白幡台イーグルス戦があった。久しぶり午前から練習に参加し、午後の試合のスコアラーに臨んだわけであった。

その前に午前中は4年生以下が別行動で、稗原(ひえばら)小スタジアムにて「ティーボール体験会」なるものがあったんである。ティーボール大会という存在は以前から知ってはいたけれど、フレンズが参加したのはこれが初めてかな?小っちゃい子たちのために作られたルールが面白い。攻守交代は打者10人が一巡するまで何アウトでもやっちゃうとか、次の回は前の回の走者を再現配置してから打撃に入るとか、とか。そしてなんと言ってもティーの上に柔らかいボールを置いてそれを打つ、いわゆるティーバッティングで打つことだ。キックベースボールみたいで、小さい子でもほぼ確実に前に打つことが出来て楽しそうだ。何しろ野球を好きになる第一歩は、ミートした瞬間にバットを握った手に残る、あの何とも言えない心地よい痺れ、あのボールの重量感のある反発の感覚、遠くへ弧を描くボールを恍惚と眺める時の快感...。これが忘れられず野球のドツボにはまっちゃうんである。

筆者は行ってないが、Ohshiro母から写真が送られてきた。
5,6チーム参加してうちは3戦全勝だったとのこと。中でもフレンズ4年の星、Yuutaは2ホームラン、うち一本は満塁ホーマーだった。
近年フレンズは選手不足に泣いてきたが、春先6年が卒業後また減ったものの、このところ低学年の新人君たちが増殖中なんである。
これは何にも増して喜ばしいことなんである(^-^)


有馬小ドームへ意気揚々と帰還のチビスケ軍団。ここでは6,5年チームが白幡台イーグルス相手に苦戦を強いられていたけれど、そんな先輩軍団の苦労なんかどこ吹く風のにっこり凱旋。Nishinakaコーチの計らいで、一度はやってみたかったに違いない例のアレ。「愛と青春の旅立ち」リチャード・ギア的帽子を投げ上げるやつを敢行と相成った。無邪気でココロから楽しそうだった。(^-^)

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ここで終わらないのが少年野球「晴耕雨読」的ブログなんである。
前回ブログの野鳩の記事の最後に「時には鴨なんかも来るんである」と書いて終わった。
偶然今日、ホントに来ちゃったんである。しかも鳩と同じく番(つがい)のカップルのようだった。

観察してみると1号は常に筆者を若干気にしているようだが、2号のほうは能天気に1号にくっついて同じ行動をとり、キャピキャピしちゃってる。おそらく1号は雄で2号が雌とみた。筆者がちょっと近づくと1号がプールから上がり、すぐに2号が続く。陸(おか)に上がった2号は口に水を含みそれで自分の毛繕いに余念がない。1号は筆者筆者を目の端に捉えてじっとしている。ファッションを気にする2号はやはりオンナだな。

筆者は「俺、人畜無害だかんね。これ以上邪魔する気はないよ」的なオーラを発して警戒心を解こうと努力。そしたらプール監視員の「休憩終わりっ」の合図を待っていたかのように、また悠然とすいすい泳ぎ始めた。1号は顔を上げて筆者を視界に入れながらゆっくりすいすい、2号は筆者にはおかまいなしにしょっちゅう水面下に口を突っ込みせわしなくすいすい。もしかしたら、カップルじゃなく母子(ははこ)じゃないかと思うようになった。

昔々、このプールに一羽の小ガモが怪我をして迷い込んだことがあった。
独り群れからはぐれたのだろうか。あの時の想い出が蘇る。
当時のYanagisakiコーチ夫妻は野球少年少女3人の子を抱えた大家族であったが、不憫に思った夫妻はその子鴨を助け引き取って家で飼うことにした。名前はぴーぴー鳴くので「ピースケ」.......今でもピーは元気にしてるそうだ(^-^)

ほどなくして1,2号共にひょいと陸に上がったこの写真を撮った瞬間、わさわさグランド上空を横切って飛び去っていった。
二人を目視で追いながら目をグランドに転じると、ちょうど試合はフレンズが、レフトオーバーのタイムリーを打たれて左翼手が球を追いかけてくるところだった。

2014年4月10日木曜日

雨の桜の散り際に


※少年野球「晴耕雨読」から転載
この時季桜を見ると、日本人はどうしてこうも楽しく嬉しい高揚した気分になるのだろうか。筆者もその日本人の一人ではある。しかし逆に、桜は春の陽気の中に潜む妖気を身にまとった時、あたかも催眠術にかかったかのように人の心を惑わせることもある。心にちいさな闇を持った時、桜の妖気はそこに忍び込んでくるのである。人々が春の陽気に浮かれている姿を見ると、逆に心が沈んでしまうことだってある。
...なんて話はこの季節のこのブログには似つかわしくないか。

さて恒例お花見大会なんである。
午前中は有馬ドーム、いやスタジアムで練習。校舎をバックに校庭の桜は満開、むしろ少し散りかけているくらいか。

歩いて5分ほどの横浜都筑区に大きな公園があり、ここ近年は毎年ここで花見をやるのが恒例だ。しかし筆者の記憶が正しければまず一度も晴天に恵まれた記憶がない。雨または極寒の中での花見大会なんである。一週早ければ或いは遅ければ、という思いは毎年花見をする様々な団体の忸怩たる共通認識に違いない。運が良ければ5分咲きでも晴天、悪ければほぼ散った状態でしかも雨に祟られることに。
野球は審判と天候には勝てないと言われるけれど、花見もそうだ。それでも野外でメシを食い酒を呑むのは大人も子どももこの上なく心躍ることである。
写真は束の間に日が射した時を狙って撮ったので、そこそこの天気だと思ってはいけない。午後は曇りかなり雨、たまに晴れの天候だったんである。「おっ、少し晴れたぞ、よしメシ食っちゃえ〜」とわらわらブルーシートに座り弁当を食い酒を呑み笑う。

1時間もしないうちにまたぽとぽと雨。一斉に木陰に避難。また止んだ隙をついて今度はYanagisawa代表が大縄飛びを始めた。興に乗る子どもたち。もっとも子らは雨が降ろうが槍が降ろうが関係なく、あちこち跳ね回って飛び回って転げ回っていたんである。雨の中木陰で雨宿りする子はほとんどいなかったように思う。
その元気、少し筆者にも分けてほしいものだ(^-^)


この公園では毎年横浜市の警察関係のイベントがある。たまたま今年はその日にあたっていて「犯罪撲滅キャンペーン」みたいなイベントをやっていた。離れたステージではナントカ戦隊ショーや市民参加のダンスショーみたいなことをやっていたようだ。
ショーがお開きになり近くでその一団が警察関係者と記念撮影。低学年の子らが駈けて見にいく。たまたま居合わせたフレンズのオトナ男たちは、戦隊よりも美人双子のタレントしか目に入らぬようだったが(^-^)

帰りは濡れ鼠になり歩いて帰るかと覚悟を決めていたら、Ohmori母の車で何人か相乗りで自宅まで送ってもらった。今年から初めての母マネとして悩み戸惑いながらも八面六臂の活躍する彼女。こんなイベントは彼女の大好物である。いろいろ準備や手配など大変だったろうと思う。どのチームでも裏を支える母たちは気苦労が耐えないことは知っているつもりだ。
いつもならハジけたキャラの彼女。ところが今日はまるで自分が悪かったかのように何度も「こんな雨になってごめんね」と。更に代表やKanedaコーチや小さい子たちの帰路を心配しつつ、雨のアスファルトを疾走したのだった。

2014年4月6日日曜日

桜はどーよ?


※少年野球「晴耕雨読」から転載。
まだまだもうちょいの感のある桜ではある、関東土曜の昼下がりの午後、村山杯の相手は中原区の「今井西町少年野球部」(敬称略)戦なんであった。

今週は前回ブログアップのあとは、連夜フレンズとQueensのマグネットボードの制作にかかりきりで、やっと金曜に完成したんである。そのボードを持ってうららかな春のグランドへ。このあと筆者は試合を途中抜け出しQueensの「6年生卒業懇親会」(?)へ参入となるのである。
皆にうんと自慢しちゃったのは言うまでもない。このマグネットボードに特化した記事はまたいずれなんである。

この「少年野球晴耕雨読Blog」の左欄に「にほんブログ村」というアイコンがある。おそらく日本で最大のブログランキングサイトなんである。総参加数75万ブログサイト。ブロガーたちはこぞってこれらのランキングサイトに登録してアクセス数を競い、ランキングの浮き沈みに一喜一憂しちゃうのだ。「少年野球」のカテゴリーでは今は全国で552サイトが参加登録。記事を見たユーザーは最後にこのアイコンをポチクリすると、このブログのランキングが1ポイント上昇するという仕組みなんである。筆者は「少年野球」と「野球コーチ」ブログのふたつにエントリーしている。
あまり昔ほど気にはしなくなったけれど、やはり上位にいれば嬉しくないわけがなく、また、むしろランキングよりも書き手のモチベーションアップの発奮材料になるので、今でもアイコンを浮かべているんであった。オリジナルでデザインしたアイコンがコレですね。
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このランキングでは左の欄にあるように小ブログは少年野球552サイト中いつも1位から5位くらいの上位に浮かんでいることが多い。ありがたし読者の皆様。m(_ _)m。しかし仕事が忙しくちょっとサボればたちまち下位に転落の憂き目に会うことになる。しかしこのブログはランキングのために書いてるわけではないので、ちゃ〜らあ♪へっちゃら〜♪なんである。
昨年から彗星のごとく現れて上位の常連になって当「晴耕雨読」と肩を並べることになったのが「今井西町少年野球部」さんなんである。相当な期間一位を独走していた。お隣の中原区で活躍しているチームなんであった。昨年も一度試合をやっているのだが、筆者は仕事でお会い出来ていない。
今日は試合途中で戦線離脱の予定の筆者、試合前にご挨拶に行った。
「有馬フレンズのTと申します。今井西町さんのブログを書いてらっしゃる方はどなたで.....?」
「あっ!テッシーさんですか?私、「晴耕雨読」のファンなんです!」
とおっしゃってくれたのは監督のSBYさんであった。若きイケメン監督さんとは知らなかった(^-^)おそらく昨年までHPを起ち上げて書いていたと思うのだけれど、監督の重責を全うするため、今年から別の方に執筆を任せているのではと想像する。最近の今井西町さんのHPを見るとそんな気がする。昨年と一昨年は大変な強豪でいくつもの冠を獲った実績があるのだった。チームOB4人が所属する西中原中学は全国制覇を達成したらしい。
うちだってかつては、フレンズOBのMiyataが東北高校で夏の甲子園決勝まで行ったんだかんね(^-^)
ベンチ横には面白いモノを発見。白い達磨さんなんである。詳しくはWebで(^-^)
また今井西町さんのブログでは人名をほぼ3文字の英文で略称する。「晴耕雨読」も最初の頃はそうしていた。監督さんはSBYさん、またはSBTさんかな?はてどんな名前か推測できるだろうか。ヒント「田伏」さんならTBSとなる。「秋葉」さんならAKB48なんである。

手元にスコアブックがないので詳報は書けない。ましてやこのあとQueensのほうへ行くので気もそぞろ、と言っては実もフタもないのだが、時間まで写真を撮りまくった。



Ohmoriスコアラーに「あとで結果だけメールちょうだい」と言い残し、わざわざ迎えに来てもらったQのKasaharaさんとSatoh父の運転でNoeri号の車中の人となったんであった。
のちにメールが来た。3:2のサヨナラ勝ちだった。ホッ。

さてこのあとはQueensの懇親会というか、慰労会というか、卒業式のあとの謝恩会のようなというか、Sohma会長のスポンサーで6年生を招いてのカラオケ大会なんであった。この話は次回である。
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これを書いたのは翌日曜日。
午後からはフレンズ花見大会の予定だったが雨にたたられたわけで、来週に持ち越しとなった。午前中は筆者はグランドへ行ってないのだが、Ohmoriオヤジからチョー面白い写真が送られてきた。実戦形式の練習で主審を務めたのはToyodaオヤジ。チョーイケメン選手TakutoとShohmaのとーちゃんである。公式戦の審判をやるたびに前夜は眠れないというほど緊張しいのマジメパパである。
たまたま主審用の大人のメンがなかったらしい。こともあろうに、いや、ナイスアイディアと言うべきか、なんとボールを入れるスーパーの買い物かごをメン替わりにしちゃっていたんであった。
腹を抱えてチョー笑えた(^-^)/
(※通勤途中の電車や会社の中でこれを見て、思わず声を出して笑ってしまい、女子高生や上司に睨まれても、筆者は責任を持たないのであしからず)
この下のコレをぽちくりすると、ランキングに反映される。そこで「今井西町少年野球部」さんのHPも載っているので、よろしかったらどーぞ(^-^)/
お帰りの際はまた、「晴耕雨読」をぽちくりでココへ戻る仕組みなんである。

2014年有馬神明社初詣

2014年有馬神明社初詣
2014/01/05

2010年7月11日30周年記念式典にて