※このところ転載するのもすっかりご無沙汰でした。2話連続で記載します。
荻原浩の小説に「明日の記憶」という傑作がある。
渡辺謙主演で映画化もされた。原作に劣らぬ出来映えの大好きな映画である。
「明日」と「記憶」という相反する言葉の意味合いを融合させることで、どこかしら奇妙な違和感を感じさせる。のどの奥に刺さった魚の小骨のような。
「記憶」という存在は常に「過去」に配置されるべきもので、「未来」というステージに「記憶」というポジションはあり得ない。
でも、だから良い。
子どもの未来は真っ白なノートのようなもの。
一人ひとりがその白紙のノートに、それぞれの「未来」を自ら書き込むことになるだろう。大人になった時、未来に書き連ねた言葉はやがて記憶となってキミの胸に納まるはずだ。
連盟記念誌制作ではページ数の調整が何度か行われ、途中段階でこの「詩歌」のページが生まれた。当初段階では全く予定になかったページ。Nishimura編集長の判断で小生にオファーがあり、例によって安請け合いをしてしまったものの、降臨するまでがなんと長かったことか。悶々とすること数ヶ月。どうゆうタイミングでアイディアが浮かんだのかは忘れたけれど、深夜に降臨したとたんすぐさま手元のノートに殴り書き。推敲2回。更にもう一度書いてみる。ほぼこれで完成。
子と父と母の「記憶」の物語。
数日寝かしておいて自作をまた読んでみる。.....何か足りない。
最後に第三者の目線で子どもへの「希(ねが)い」を書きたかったことに、今更ながら気づいた。そのことに気づいたとたんに、一気呵成に書き上げた。
バックには白紙のノートの写真を敷き込み、あえてモノトーンで構成。白球のボールの写真は光と影を計算してグランドで撮影し、ザラリ感をつけて挿入。
全てデータ完成したのち、最後にどうにも自信が持てず編集長へメール入稿することを逡巡(しゅんじゅん)。
信頼のおけるある人へメールで送り読んでもらった。
返信の感想はあっけなく、かつ素っ気ないものだった。ますます疑心暗鬼。
でも、かえってこれで気持ちが吹っ切れた。
次回「未来の記憶」本編にて公開。
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