※少年野球「晴耕雨読」から転載
日曜の午後は鷺沼ドームへ場所を転じ、名門鷺沼ヤングホークスとのグリーンカップ2回戦なんであった。ここで何度か書いたけれど、ヤクルトのそして侍JAPANの雄平選手を輩出したチームである。小学時代は筆者の息子と同期で連合チームでもエースだった。そんな歴史と伝統を持つヤングである。歴史だけならフレンズのほうがちょっぴり勝っているのだが、長く低迷を続けていたフレンズに対し、ヤングは宮前でも常勝軍団の名に恥じず、昨シーズンは県大会ベスト8まで行った実力がある。
Kurosu名物監督始め、29Ishikuraさん28Takahashiさんのベンチトリオは今年も健在。
ヤングはQueensの女子を毎年大量供給する唯一無二の存在でもある。鷺沼地方はQueens姫の名産地であり輸出大国なんであった。「子どもをあたかも商品のような言い方をするなんて、なんて酷いことざましょ!許せませんことよっ!」.....なんてゆー野暮なご婦人方はこの「晴耕雨読」読者にはいないであろうことを祈りたい。
「アレッ?Misuzu!いつのまになーんか随分女の子っぽくなっちゃって」3塁ランコーに立ったQueensのMisuzu。今年はQの柱でもある。頑張ってほしい。
「プレイ!」バッテリーはFはRuiYuiコンビ、YはTamuraくんとSashikiくん。のちにこのTamuraくんの走る球にF打線は打ちあぐねる展開になるのだった。
試合は初回表裏にYとFが1得点ずつ、3回裏にFが1点勝ち越すものの、4回表には2死からTakadaくんの中前安打と1番Hiratsukaくんの2点タイムリーツーベースで逆転、3:2となる接戦となった。
これは試合後のことであるが、両軍男たちがネット裏で談笑していると突然「Teshimaさん、こんにちは」とご挨拶された。にこにこと「やっと話すことができました」と。当「晴耕雨読」の読者さんの一人、スコアラーのTakadaさんなんであった。こちらこそ大変恐縮、声をかけていただけるのは嬉しい限りなんである。普段どんな人にどれだけ読んでいただいているのか分らないので、こうしてお会いできることは楽しい気分になるものだ。バーズTakahashiさんのブログにも話が及んだりして。そういえばバーズOBのOさんともブログで知り合い「今度一緒に呑みましょうね」と言ったきり、筆者の都合で反故にしたままであった。Oさん、これを読んでいたら大変申し訳なし....。
写真右下がそうである。立っている二人はイジリーKitamatsuオヤジとイジラレーTanakaオヤジのQueensコンビ。イジリ、イジラレの漫才は実に可笑しいのである。Tanakaさんは酒が入ってないため、今日の眼鏡のずり落ち角度は正常値をかろうじて維持していた。
転じてフレンズベンチ。ここ数年のフレンズの大きな存在であった29番トミーことTomiokaコーチは既報のとおり4月からの異動で大阪転勤になる。チームへの貢献度は計り知れないものがある。こうしてベンチの彼の縦縞ユニフォーム姿を見るのはあと僅かとなった。週末の日曜には子らも含めた盛大な送別会が予定されている。
さてその後のゲーム展開であった。5回裏Fの攻撃。Taichiがインターフェアで出塁、4番Yuiのタイムリーなどで一挙4点奪取し、結果6:3のダブルスコアでフレンズが勝ったのであった。しかし、このブログで再三書いているとおり、「驕(おご)り高ぶることなかれ」「驕る平家は久しからず」なんである。内容は負けていた。ヤング安打5に対してフレンズは2。この4得点はYuiの快打以外は相手連続失策と3個の四球が絡んだものであった。いわゆるタナボタ。しかし得点は得点。だがいつこの立場が逆転するかもしれず、油断は禁物なんである。
さて球場カメラマンこと筆者Tは外野スタンドも徘徊彷徨しちゃうんである。ちょうど外野では低学年チームの面々がSashiki監督の指導のもと楽しく和やかに行われていた。どうゆーわけか、往年の昭和の大スター選手、若かりしき頃の長嶋選手もコーチとしてタイムスリップして指導していたんである。
Q繋がりでKitamatsu母とKurashige母がやってきてしばし談笑。前述鷺沼はQ姫の名産地と書いたけれど、まさにこの二人とSashiki、Tanaka母たちは文字通り「名産地」だ。つや姫の産地は山形県の農家であるが、Q姫の名産地は鷺沼県の母たちなんである。
低学年の練習風景はどのチームも穏やかで楽しそうだ。伸び伸び走り回っている子らの笑顔が眩しい。春の陽光に眩しく輝く満開の桜を目にする頃には辛い別れが待っている。同時に春を制した結果が判明する頃でもある。
「サクラ咲く」の吉報はどのチームにもたらされるのであろうか.....。
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