昨晩は帰りの電車の中で偶然チームのNishiharaさんに出会い、駅を降りて勢いでまた飲んでしまった。今朝は開会式への出発のクルマに乗り遅れるとこだったが、出発時刻に遅刻したわけじゃないので、ちょっと悲しくてムッときた。
さて宮前区公式戦の防犯少年野球大会。
第一公園はいわば宮前野球少年少女の甲子園であることは言うまでもない。
ヒマラヤの雪男だって知っている。そのグランドに降りてみて驚いた。雪男を発見したからではない。宮前の上部組織、川崎市少年野球連盟からの「がんばろう日本」の横断幕が掲げられていたのである。市内の各区連盟に配られたようだ。
また開会式前にはちいさな呼びかけから始まり、大きなウェーブとなった震災支援募金が各チームから寄せられた。有馬子ども会さんもちゃんと小生作のカバーデザインで手作りの募金箱を制作してくれた模様。ありがたいことだ。更に開会式では連盟事務局Ohtakeさんから今後も引き続き募金活動してほしい旨のコメント。継続はチカラなり。
開会式での連盟役員と審判部。ツーショットの右は泣く子も黙る、じゃない、泣く子も笑う言わずと知れたKasahara氏。20周年記念誌プロジェクトの通称「社長」でもある。中国密林の野生のパンダでも知っている有名人。「昨日の飲み会、俺も呼んでよ〜。Tさんと飲みたいからさ」とのありがたいお言葉をいただいた。左の柔和な笑顔の持ち主はOgasawara氏。名門富士見台ウルフを率いる名将であり、また岩手県大船渡高校出身で今回の震災で心を砕いているサッカー小笠原満男選手の伯父でもある人物。23歳になる筆者の娘でも知っている。昔、連合チームではお世話になりました。ちなみにに「小笠原」から「小」を取ると「笠原」になるという事実は、NASAのジェット推進工学の研究者も知らないはずである。
全選手がグランドへ集合整列。この写真を美しく撮って記念誌の見開きA3にドカンと載せる予定。それにはまず被写体である先頭の主将たちがキチンとプラカードを持っていなけらばならないわけで。デレっと寄りかかったりムスっと下を向いたりしていれば、いくらカメラマンの腕が良くても良い写真にはならない。
ここで選手たちを真剣な眼差しで見つめグランドの片隅に佇む一人の男がいた。
某広告代理店勤務、左手にアメ右手に餅じゃないムチを握り、「ほめ殺しのN」の異名を持つ、記念誌プロジェクト内通称「編集局長」のNishimura氏。子どもたちは知らなくとも、広島の山奥に棲息するツチノコなら知っているかもしれない人物である。
1=獲物を物色するN村さん。瞳の奥がきら〜んと光る。ターゲットを発見した模様。
2=中腰で走る競歩選手のようにターゲットの元へ走り寄り、「正しい野球少年のありかたと今後の人生訓」を教え説き、任務を遂行するN村さん。
3=不可能を可能にするミッションを成功させ、MI2のトム・クルーズのように颯爽と基地へ帰還するN村さん。...なんである。
さてこのブログ。前置きがいつも長過ぎて本題に入る頃には筆者がヘロヘロになってしまうことは意外にも知られていない。滝に打たれる比叡山延暦寺の修行僧だって知らないくらいだ。
開会式後、すぐに移動、宮崎台小ドームでの我が有馬フレンズ初戦。試合についてもうあまり書く気がしなくなったのは、決して前記のような理由からではない。打線が爆発、連打の嵐はすでに過去のものとなった。今日はリトルグリーンズ戦。お世辞抜きで可愛い女子選手が3人もいるチームだ。後半サウスポーの女子投手に翻弄されて散発2安打のみ、大差でのコールド負け。よって、今回はベストプレーヤー賞は該当者なし。
先日、強豪ブルアロを打破したことはたぶん都市伝説だったのだろうと、そろそろ宮前区内では囁かれはじめているに違いない。
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