このところ上昇機運のAチーム。AチームがあるからBがあるわけではないというのがウチのチーム事情というもの。Bを作るには監督・29・28番・スコアラーから始まり、運営、設営、配車の手配、Aとの兼ね合いでの練習グランドの確保と、大変なことがいっぱい。選手数の少ないウチはほとんどAとの兼任でやれば、やってやれないことはない。しかしそれには父たちの協力が今以上に不可欠になってくるわけで。
筆者は息子娘がチームにいた頃はオヤジコーチとして参加。忘れもしない初参加の日は息子が5年の11月の初冬、寒い朝。霜が降りグランドガチガチ、ガタガタの状態を1時間かけてトンボをかけた。翌日は腰が使いものにならない。その後フレンズに慣れるに従い設営、運営、審判とほぼ毎週のようにやった。あの時代は幸運にも黄金期で、年間勝率が8割以上の常勝チームだったため、試合づくめだったからだ。朝の早起きと綺麗な女性にめっぽう弱い私でも、あの頃の朝の目覚ましには一発で起きれたんである。朝4時まで呑んでいても6時には第一公園の設営に行ったこともある。子どもが世話になっているチームに対して親としてそれが当たり前のことだと思っていた。それが次第に我が子どもなど関係なく、チームを支えるスタッフとしての「自負心」と、多少大袈裟だけど「俺たちのチーム」という「誇り」も芽生えてきたりして。当時も人数はそう多くなかったけれども、親たちや指導陣のチームワークも抜群であった。
その延長で自分の子どもが卒業後もこうしてチームに関わっている。おそらくは全国の小学生野球のコーチングスタッフのほとんどが大なり小なり、同じような経緯でチームに在籍してるのではないだろうか。
最近ここではAの写真ばかりなので、日曜にBの子たちを写真に収めてみた。
小さい子たちの親にAの試合の設営、審判、クルマ出しなどを協力してもらっているから、ちょっとでも罪滅ぼしにね。
0 件のコメント:
コメントを投稿