記念誌の誌上公開てゆーかBlog上公開です。
今年の初めにチームの30周年記念事業を提唱、実行委員会を起ち上げ、人選をし役職を決め、ほぼ飲み会で概略をまとめたところで父母会を招集、開催。父母会の承認を得て正式スタート。ここまでのイニシャチブはほとんど私がやった。これからは役職についた役員が各々やっていけばいい。ところが認識の違いなのか、温度差がありすぎるのか、その後も先々の議題や当面の目標など、ほとんど私が....。俺の仕事じゃないんだけどなあ。仕方ない。時間がない。本来去年から準備委員会を発足させたかったけど、「準備委員会」発足の私の提案はボツ。まだまだ先と思えば誰しもノンビリしたくなる。
でもなんとか委員会も軌道に乗り...途中ゴタゴタもあり、憤懣やるかたない思いをメールや言動でやってのけたこともある。これも全部確信犯。憎まれてもいいからヒトを動かさないと前進がない。...こんな話はまあ、今となってはもういいやね。私の若気の至り、ガキの証拠です。
さて、記念誌である。
表紙は3回修正した。多くのデザインには2つのパターンがあって、ひとつは「足し算」ともう一つは「引き算」このデザインは前者である。すこしづつアイテムを足していって最終的には印刷直前で3回目のプラス「+」ヘルメットを最後に加えた。
ページをめくると代表の挨拶から始まり、各寄稿文が11ページ。感動的な寄稿文もあり、読んでいて楽しかった。文章の上手いヘタはともかく、やはり胸に迫る文というのは内容がモノを言うのだなあと実感。
次が30年間のOB名簿、コーチングスタッフ、年間成績のページ。
最初にOBたちの住所電話番号などはカットしようと提案。ページ数を圧縮するためと、個人情報保護の観点からだ。これらを全部年度ごとに1ページに凝縮した。
20周年記念誌がしっかりしていたので、途中迄流用。20から30年目までのデータはいろんな人に協力いただき、またスコアブック集計などの記録が威力を発揮し制作。集合写真はYanagisawa代表やKanedaコーチが載っている写真を優先的に選択し掲載。2001年は良い写真がなく難儀した。フレンズ以外の人にも楽しく読んでもらおうと、その年のTOPICSを設けた。○○年は現巨人監督原が入団した年、とか○○年はウォークマンが10数万円したとか、湾岸戦争勃発とかとか...。
Ohmori父ありがとう。また、右下イメージ写真には顔をトリミングして載せて、年代を特定させないようにした。モノクロ印刷ゆえの利点。
集合写真ご提供の方々ありがとう。
広告である。54社25ページ。メールで送って下さった数社を除くほとんどの広告は手作り原稿。これをまずInoue母がWord原稿にリライト。これは大変な作業だ。それをもらい僕のMacのIllustraterというソフトで加工、全体をデザインしフィニッシュ。
54社分のデザインというのは死ぬかと思った。でもみなさんお金を払って頂いてるのだし、仕事や家事の合間にこの広告を取ってきてくれた母たちに報いるためにも、弱音は吐けないし。チーム関係者の広告にはさすがに特別リキが入る。因にTeshimaDesignWorksの広告も2,000円の費用で掲載。野球のボールに興味を示した小さなアリンコと今のフレンズの小さい子たちをオーバーラップさせたイメージ。面白い野球にもっと群がって欲しいとの願いを込めて。誰も解らなくてもいい。こんなもん、自己満足だからね。
先のInoue母さん、校正のOhtake母さん、同じく校正と年度別ページのリライトNishiharaコーチ、諸氏に感謝!感謝!
編集後記と宮前区の少年野球+豊田さんのHP紹介。
HP紹介ページはOtsuboコーチのアイディアをもらった。
この最後のページを作る為に数ヶ月間苦労したと言っても過言ではないかも。
最終ページで30年間の集合写真を大集合。
今までのありがとうの意を込めて。
最後のページでこれからの未来を表現。
創った自分でも確かな着地点に降り立った気分で良かったかな。
最終裏表紙。
地元に流れる「有馬川」をイメージ。30年間のフレンズの紆余曲折を川の流れになぞらえてみたのだけれど。
昔、そして近年にもチーム存続の危機を乗り越えてここまで頑張って来たことへの想いを表現したつもり。
過去現在未来。
支えて下さった全ての方に感謝です。
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