※「晴耕雨読」から転載。
2011年3月11日は日本人にとって忘れられない、忘れてはいけない日になった。
今さら言うまでもないことだけれど。
なんとかして非力な自分にも出来ることはないのか。
当時そんな気持ちで焦燥感に近い感覚を覚えた人も多いのではないだろうか。
小ブログでその言葉にならない悄然とした思いを書き連ねた。
東北で震災にあった同じ野球を愛する少年少女たちへ、野球用具を送りたい。
これを宮前区少年野球連盟副会長、兼20周年記念誌プロジェクトリーダーのK原氏が読み、速攻会長へ直訴、承認、即日震災復興支援計画が成立。小生がコンセプトワークとステッカーなどのビジュアルデザインを担当、連盟副事務局長兼記念誌ディレクター通称「編集長」N村氏が綿密な実務と全体ディレクションを司り、計画は推進された。
募金をつのり全21チームから約70万円が集まる。
ヘルメットに復興支援のステッカーを貼り、公式戦を開催。この子らが大人になってもきっと想い出してくれるに違いない。
先日の第一公園に新品の野球用具が届いた。
K原副会長からの報告を以下に列記しておきたい。
ボール(軟式C号球) 47ダース
グローブ 56個
ミット 12個
バット 27本
アンダーストッキング 300足
バットケース付リュック 1個
シューズケース 20個
グローブ 56個
ミット 12個
バット 27本
アンダーストッキング 300足
バットケース付リュック 1個
シューズケース 20個
宮城福島両県の少年野球7市7団体に打診し、結果宮城県名取市の名取市少年野球育成会さんに寄付させていただくことに決定。こちらではまだ震災で使えないグランドも多く、他市に比べ用具も満足には揃っていないとの理由から。
かの被災地の子どもたちがこれらを受け取った時の、目の輝きと笑顔を想像しただけで勝手にちょっぴりウルッときてしまう。
20周年記念誌に載せるため早朝に写真撮影。担当は花の台フラワーズさんのN本さん。記念誌プロジェクトメンバーの一人で通称「師匠」。プロ並みの腕前はさすがのクオリティーである。記念誌掲載の写真でもこのクオリティーが大きなウェイトを占めるはずだ。今回のブログ写真は全て師匠の撮影によるもの。いつもより解像度高めの写真を掲載。N本師匠ありがとうございます。
この他いろんな人の努力があり発送まで完了。連盟の支援計画は完了したとはいえ、復興が終わったわけではない。むしろまだ始まったばかりだ。これからも同じ日本人として被災地の方たちの心を思いやり、私たちは「心のチカラ」で声援を送っていきたいと思う。
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