新有馬フレンズHP&BLOG

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どうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m

有馬フレンズ公式WebSite

少年野球「晴耕雨読」BLOG

☆有馬フレンズ チームプロフィール ☆

当チームは、昭和55年有馬地区で結成され、今年で創部32年目を迎える軟式少年野球チームです。毎週土・日曜など有馬小と西有馬小の校庭を中心に元気いっぱい練習していますが、お父さんお母さん達も子どもに負けないくらい一緒に野球を楽しんでいます。子どもをサポートする大人同士のチームワークもバッチリです。
活動内容は上記練習のほか、宮前区の各種大会(年間5~7)や他の大会に参加しています。また野球以外には、夏合宿やボーリング大会などのレクリエーションなども盛んに行っており、子どもたちの交流も楽しそうです。
「百聞(文)は一見にしかず」
親子はもちろんのこと本人だけでもOK、是非一度グランドへ遊びに来てみませんか。いつでも歓迎します。(練習や試合の時間・場所などご確認の上お越しください。)
過去の主な成績
★川崎市および宮前区各種大会において、優勝・準優勝多数
★マクドナルド杯神奈川県大会:優勝 
★全日本学童神奈川県大会:準優勝
★関東団地野球リーグ:優勝     
★川崎北シニア藤峯杯:優勝
※所属 宮前区少年野球連盟 
※チームは小学校の活動とは関係ありません

2010年7月28日水曜日

先達に感謝

合宿からみんな無事で帰ってきたようですね。
お疲れさまでした。子どもたちには絶対いい経験になったと思います。
これからまだまだ暑い熱い夏が待ってるよ。頑張ろうぜっ!!(Teshimaコーチより)
以下毎度ですが「晴耕雨読」より転載...
ここ2週間ほど「30th○○編」シリーズを中心にして、チームの周年行事を書き散らしてきた。最後の「記念誌編」はさすがにチカラが入る。でもってひとつ忘れていた。式典会場にいらした方には「記念品」を差し上げようと企画されたのが、ありきたりだけど「タオル」。もちろんチームロゴのネーム入り。当初温泉宿のナニナニ旅館だとか、有限会社ナニナニ商店だとかのマイナーイメージがつきまとい、果たしていかがわしいものか?...じゃない、いかがなものか?と思った。ならばいっそ、タオル全体にデカデカとロゴを入れる、いわば「E.YAZAWA」方式の案も浮上。このYAZAWA方式と温泉旅館方式で論議されたけど、結局予算に大きな開きがあり、永ちゃんはあえなく撃沈。
ならばと、小生が記念誌制作の真っただ中にこのタオルの制作までやることに。
一色刷りなので、濃紺地のタオルに白いロゴなら「温泉旅館方式」でもカッコイイはず。ところが印刷の世界に白いインクというのは存在しないのである。家庭用PCのプリンターも4色(いわゆる業界用語でCMYK)で全ての色を表現、白い部分は紙の白地を残すことで白を感じさせている。タオルの場合、上記の案をやろうと思えば白地のタオルをロゴ部分だけ除き、濃紺で染め上げることになる。文字白抜きというヤツですね。もちろん値段もアップするのでこれまた撃沈、海の底。
考えた末に温泉旅館方式」で4つのデザインを考案、時間がないので各者のPCまたはFAXで送り、投票してもらうことにした。ちょっと遊んでみたくもあり。意外なことにキレイに4つに分かれてしまった。各3票ずつ。私はもうこれしかないじゃん、と思っていたけど解らないものだ。結果的に投票にして良かった。
まあ、その後もちょっと制限がありやっとデザインが決まり、Muroi母委員から発注してもらって納品されたのが、写真のもの。
「湯けむりの里・温泉旅館ナニナニ荘・電話番号ナンタラカンタラ」とはほど遠い、なかなかイイ感じで仕上がったと思う。父母たちにヒラリと初披露した時は拍手と歓声も上がったほど。


記念誌の制作に関しては、以前のブログ...30th「記念誌編」誌上公開に詳しいのでここで繰り返すことは省略。でもこの小誌は本当に以前の20周年記念誌の情報がしっかりしていたので随分と助かった。また、悪い表現になっちゃうけど、20年誌を見てここはこう直そう、このコーナーはこんな風に変えちゃおう、こいつはバッサリ切ろうなどといい意味でのタタキ台になってもらった。個人的には少なくとも20年誌よりはいいものを作ろうという励みにもなったわけである。
更に写真の1999年から2009年までのチーム年間成績表。(家のどこかにもっとあるはず)他の全国のチームはどうしてるのか知らないけれど、うちは年末の卒部式で全員に配るのが恒例。チーム全体の全ての成績を網羅してるのはもちろん、個人打撃成績、投手成績、から失策数、全試合結果のスコアボードまで。卒業生に至ってはその子の入部当初からの年間成績を全部はじき出して載せている。手元にあるこれらは同時に私の財産でもある。去年2009年はひとりで作ったがそれまでは先達の方たちが大変な努力で作っていた。写真左の1999年は私の娘が卒業した年で、またここにはないが、1996年は息子の卒業年。あの時の成績表は卒部式の前日6年の親たちが我が家へ集合し、ワープロで作った冊子を皆で手分けして作ったものだ。もちろん制作終了後は飲み会に突入し一年を振り返り酒を酌み交わす。
そうか!そういう意味では私自身も先達のひとりなわけか。(ニガ笑い)
でもやはり自分以外の方たち、チームを支えて来たその時代、その時代のスタッフ・父母たちに改めて感謝したい。


2010年7月25日日曜日

ブログデザイン一新

.....「晴耕雨読」から転載です。
夏です。とっても夏です。世界的異常気象の暑い夏です。
このブログも公式チームブログも、忙しさにかまけてずっとリニュアルを怠ってました。公式に至っては桜の写真がタイトルバック画像のままでお恥ずかしい。真夏に見る桜というのは、北極でヒマワリを見るほどの違和感はないものの、やはり変。というわけで一念発起、「晴耕雨読」も「フレンズ公式」も一気にイメージの刷新。
公式のタイトルバックは先日の虹色の雲「彩雲」の光景を採用。先日の朝日新聞全国版にも載ってましたね。これ、今年3カット目の写真だが1番目はグランドの北方面、2番目は東方面、で今回は南の空の彩雲。奇しくも偶然東西南北を順に巡っている。また、このGoogleが提供するブログサービスBloggerが最近デザイン編集機能を大幅にアップさせた。ちょうどいいや、全部変えちゃえというわけで今回のリニュアル。「晴耕雨読」は全体バックを明るい青空のボカした画像、「公式」のほうはキャッチャーミットと硬式球のアップ画像。本当は軟式のボールがいいんだけどなあ。それと下の集合写真には記念式典の時の最新のものも追加。一番下の選手・スタッフ名簿も最新に。
ただひとつ困った。両方とも同じブログサービスを利用し、同じ人間が作っているのでなんか同じ雰囲気になっちゃった。少し落ち着いたら公式のほうをもう少しポップにしようかな...。
また「晴耕雨読」には「カテゴリ」というのも新設。これは過去の投稿全部さかのぼらなきゃいけないから、さあ大変。今日は途中でリタイヤ。
さて、そんなことよりも。
昨日のブログで合宿に行けない辛さを書いた。今日の午後ブログリニュアルをやっていたら、Inoueコーチから携帯メール。山中湖での練習試合後、両チーム共にみんなで写真撮影したものだ。ラグビーで言うところの「ノーサイド」ですね。去年の合宿は膨大な量の写真を撮ってそれをこのブログで3回に分けて掲載。今年はその労力は不要になるが、やはり合宿行けずに残念だ。
Inoueさんありがとう!このあと携帯にメールしよう。

2010年7月23日金曜日

30th「記念誌編」誌上公開

※「晴耕雨読」からの転載です。

記念誌の誌上公開てゆーかBlog上公開です。
今年の初めにチームの30周年記念事業を提唱、実行委員会を起ち上げ、人選をし役職を決め、ほぼ飲み会で概略をまとめたところで父母会を招集、開催。父母会の承認を得て正式スタート。ここまでのイニシャチブはほとんど私がやった。これからは役職についた役員が各々やっていけばいい。ところが認識の違いなのか、温度差がありすぎるのか、その後も先々の議題や当面の目標など、ほとんど私が....。俺の仕事じゃないんだけどなあ。仕方ない。時間がない。本来去年から準備委員会を発足させたかったけど、「準備委員会」発足の私の提案はボツ。まだまだ先と思えば誰しもノンビリしたくなる。
でもなんとか委員会も軌道に乗り...途中ゴタゴタもあり、憤懣やるかたない思いをメールや言動でやってのけたこともある。これも全部確信犯。憎まれてもいいからヒトを動かさないと前進がない。...こんな話はまあ、今となってはもういいやね。私の若気の至り、ガキの証拠です。
さて、記念誌である。
表紙は3回修正した。多くのデザインには2つのパターンがあって、ひとつは「足し算」ともう一つは「引き算」このデザインは前者である。すこしづつアイテムを足していって最終的には印刷直前で3回目のプラス「+」ヘルメットを最後に加えた。
これを加えることにより、左右シンメトリーの構図を壊せたのでよかったかな。
ページをめくると代表の挨拶から始まり、各寄稿文が11ページ。感動的な寄稿文もあり、読んでいて楽しかった。文章の上手いヘタはともかく、やはり胸に迫る文というのは内容がモノを言うのだなあと実感。
次が30年間のOB名簿、コーチングスタッフ、年間成績のページ。
最初にOBたちの住所電話番号などはカットしようと提案。ページ数を圧縮するためと、個人情報保護の観点からだ。これらを全部年度ごとに1ページに凝縮した。
20周年記念誌がしっかりしていたので、途中迄流用。20から30年目までのデータはいろんな人に協力いただき、またスコアブック集計などの記録が威力を発揮し制作。集合写真はYanagisawa代表やKanedaコーチが載っている写真を優先的に選択し掲載。2001年は良い写真がなく難儀した。フレンズ以外の人にも楽しく読んでもらおうと、その年のTOPICSを設けた。○○年は現巨人監督原が入団した年、とか○○年はウォークマンが10数万円したとか、湾岸戦争勃発とかとか...。
Ohmori父ありがとう。また、右下イメージ写真には顔をトリミングして載せて、年代を特定させないようにした。モノクロ印刷ゆえの利点。
集合写真ご提供の方々ありがとう。
広告である。54社25ページ。メールで送って下さった数社を除くほとんどの広告は手作り原稿。これをまずInoue母がWord原稿にリライト。これは大変な作業だ。それをもらい僕のMacのIllustraterというソフトで加工、全体をデザインしフィニッシュ。
54社分のデザインというのは死ぬかと思った。でもみなさんお金を払って頂いてるのだし、仕事や家事の合間にこの広告を取ってきてくれた母たちに報いるためにも、弱音は吐けないし。チーム関係者の広告にはさすがに特別リキが入る。因にTeshimaDesignWorksの広告も2,000円の費用で掲載。野球のボールに興味を示した小さなアリンコと今のフレンズの小さい子たちをオーバーラップさせたイメージ。面白い野球にもっと群がって欲しいとの願いを込めて。誰も解らなくてもいい。こんなもん、自己満足だからね。
先のInoue母さん、校正のOhtake母さん、同じく校正と年度別ページのリライトNishiharaコーチ、諸氏に感謝!感謝!
編集後記と宮前区の少年野球+豊田さんのHP紹介。
HP紹介ページはOtsuboコーチのアイディアをもらった。

この最後のページを作る為に数ヶ月間苦労したと言っても過言ではないかも。
最終ページで30年間の集合写真を大集合。
今までのありがとうの意を込めて。
最後のページでこれからの未来を表現。
創った自分でも確かな着地点に降り立った気分で良かったかな。

最終裏表紙。
地元に流れる「有馬川」をイメージ。30年間のフレンズの紆余曲折を川の流れになぞらえてみたのだけれど。
昔、そして近年にもチーム存続の危機を乗り越えてここまで頑張って来たことへの想いを表現したつもり。
過去現在未来。
支えて下さった全ての方に感謝です。

2010年7月20日火曜日

ロジンの白煙

※「晴耕雨読」から転載。

熱くて暑い3連休でした。月曜は秋季大会予選リーグ2,3戦目。
対ワイルダース戦は8:1のコールド負け。まるで日曜のレッパ戦で演じた勝ちVTRをチーム名とユニフォームを変えて観てるよう。日曜の試合の真逆の惨敗。
グッタリ疲れたあと昼食後にスコアブックの集計をする。
子たちが集まって来る。自分の成績が気になるわけだ。でも...自分の名前をスコアブック上に見つけても記号の羅列だから、良いのか悪いのかの判断ができない。そんでもってスコアブックの見方ミニミニ教室開催。
「中央の○はナニか?」とか、「赤で書いた斜めの線はナニを意味するか?」とか、「B」はフォアボール、DBは死球、BKはボーク、数字の下に書いた黒丸はゴロ、上に書いたらフライ、更に横棒線があればライナー....などなど。以外と子どもたちは興味津々で聞き入っていた。
「5E(・+‿)-3」はサードゴロを捕球した三塁手の送球エラー」
三塁手のNabeに言った。
「さっきの試合はおまえのエラーがすんごかったぞ。これを取り返すには次の試合で100本くらいヒット打たないとな」...その前に100打席廻ってこないから安心しろよ。
3戦目はまた似たような点数、7:1で勝った。
スコアに犠打はよく付けるが、少年野球で犠飛(犠牲フライ)が出ることは珍しい。この対富士見台ウルフA2との試合で実現した。サードランナーHirotoがさほど大きくないレフトフライでタッチアップ。ホームへスライディング!間一髪でセーフ。いいシーンを見せてもらったぞ。
スコアにはすかさず「7(・+͡ )+三角マーク」
下の写真は打者が空振りしたのか、またはボールを打ち返したのか?
もちろんワカリマスネ?
ボールがキャッチャーミットに納まった時のロジンの白煙が回答です。

2010年7月18日日曜日

快晴!快勝!快哉!


太陽の照りつける影の濃さが真夏の到来を意味し、
太陽が描いている影の長さが正午の到来を告げる。

これから夏本番というのにもう秋季大会である。梅雨も明け高校野球地方予選も真っ盛り。開会式、選手宣誓。第二試合AM11:55審判が試合開始をコール。
「プレイボール!」
大会初日抜けるような青空の下、素晴らしい勝利をものにした。
対戦相手は野川レッドパワーズ。古豪であり強豪打線でもある。結果は...なんと9:2の5回コールド勝ち。今日は全員野球で頑張ったことと、久々に打ち勝ったことが大きいと思う。以下ナインの印象を記したい。

1.Muroi=トップの打席で三振を喫するものの(ハラ痛えか?)、次打席では見事ツーベース2打点。
2.Ohtake=三遊間は一番エラーの多いポジション。なぜなら強い打球が多く飛んで来るから失策の確率も多くなる。遊撃手のOhtakeは今日は無失策、4回にはダメ押しのダメ押し8点目の得点。
3.Nabe=チームでも1,2番のバットスピードのスイングでライト線を襲う二塁打。
4.Hiroto=主将のバットが火を噴いた。二遊間を真っ二つのやはりツーベース1打点。試合前のファウルカップ騒動には焦ったぜ(^^)
5.Kawahara=苦手なマウンドの盛り上がりも今日は苦にしない。エースとしての安定感。自責点1のアッパレピッチング。スクイズも見事決めた。
6.Oto=左打者Otoが振り抜いたバットはレフト線を破る強烈な二塁打。打点1を挙げた。
7.Ohsumi=チーム1のモテ男。誰が呼んだかバット職人Ohsumi。今日は圧巻バント犠打2本と右中間の二塁打。
8.......
9.Mitsuki=ヒットこそなかったものの、でも全打席出塁したよと言う本人の前向きな捉え方がいい。相手を引き離す3点目の本塁を踏み得点。
この他ベンチの控え選手も大きな声が出てたぞ。
さて今日のベストプレイヤー賞は...8番のInoue。
普段目立たない子だが、コーチの言うことを真面目に聞き、ひたむきに努力する姿は大人たちみんなが知っているぞ。その彼が今日は爆発した。
8.Inoue=1打席目右中間を抜く2塁打。2打席目は今度は左中間の2塁打。
最終回の5回裏の攻撃。スコアは8:2でウチの大量6点差リード。あと1点取れば7点差でコールド。時間は1時間28分経過。こんな楽しい気分で時計を確認するのは久しぶり。先に紹介したOhsumiがツーベースで出塁。ノーアウト2塁、打席はInoue。時間切れでゲームセットより、コールドゲームで試合終了のほうがいいに決まってる。打てよInoue!
ボールカウントワンツーからの4球目を叩き、見事二遊間を抜き9点目を挙げ、7点差のコールド!!よくやったぞInoue選手。3打数3安打打点1得点1の大活躍。
勝ったことに対してベンチと応援席から歓声が聞こえたが、私はスコアラーとしてひとりのコーチとして別の意味合いでココロで快哉を叫んだのだった。
From「晴耕雨読」

2010年7月15日木曜日

30th「祝賀会編」

※「晴耕雨読」より転載
※写真はまだあります。掲示板からどうぞ。パスワードが必要です。
祝賀会といってもほとんど懇親会、飲み会のノリである。
式典には来れなかった、イケメンの前衆議院議院山際さんや、鷺沼ヤングホークスの黒須さんもいらした。南部リーグの監督コーチの面々、OB卒業生同士の交流、OBコーチの旧交を温める姿。いいもんですね。
何やら合コンがどうとか話が盛り上がっていたけど、我がチームの美女軍団へのファンレターはまず俺を通してくれたまえ、フォルコンズさん(^^)条件として...我がチームのオヤジ軍団とフォルコンズさんの綺麗どころとの合コンが実現したらよいか?
こんな他チームとの交流も、普通の宮前懇親会などでは出来ないことだから、大いに盛り上がった。F本さんが下戸だとは思わなかったなあ。

前半はワイガヤで時が過ぎ、一度締めて来賓お帰りのあと、後半は身内だけでまた盛り上がり。自分で言うのもおこがましいが、私はかなり陰のプロデューサーである。常に役者を指名し彼らが光ることを考える。でもとうとう、川上コーチにマイクを渡された。記念誌の苦労話や今さら実行委員のふがいなさなどを話したところでしょうがない。母たちへの感謝の意を込めて、一人ひとりへマイクをバトンタッチ。

感極まり号泣する母たち。
マイクを握り人の話を聞けと場違いな怒号を発するNishiコーチ。
(自分こそ人の話はちゃんと聞こうね)
相変わらず小指を立てていつの間にやら司会業、仕切り始めたYanagisakiコーチ。
(いつもながら彼がマイクを持つと場が断然盛り上がる)
最近できちゃった婚で父親になった23歳のOB卒業生Sugiyama。おめでとう!
最後に柳澤さんが満面の笑みで挨拶をしていた。
そんな姿を見てやっと30周年記念事業をやって良かったと思った。

30th「式典編」

午後の式典セレモニーには総勢210名が体育館に参集。
式典前に記念撮影を一発。いつものごとく私は入ってません、カメラマンなので。
徐々に体育館が埋まり始めた頃...。日頃の運動不足がたたり、またしても足がつり始めた。体質なんだろうか?とにかく強烈。表情は務めて平静を装っていたけど、実はゴマラー油的脂汗がタラ〜リ、心臓をつたい落ちる。歩けない。座ると余計につりそうになるから、立ったまま地獄を味わう。
実行委員の席はあったけど、もともと座る気はなかった。写真撮影するので立ったり座ったりしたら、スピーチの方に申し訳ない。ならば最初から座らないでおこうと。でも足がつったせいで会場後方の一ヶ所で立ったまま微動だに出来ず。ごまラー油的脂汗は心臓からついに下半身まで達し、体育館のフローリングを濡らし始めてる。
(このブログ書いてる水曜日。極度の筋肉痛で未だに歩くのもままならぬ。マジ)
式典が始まり少し経って落ち着いてきた。ホッ。
来賓は以下のとおり。
★現衆議院議員 樋高さん
★前衆議院議員 山際さん(秘書代理)
★県議会議員 持田さん
★市議会議員 飯田さん
★市議会議員 織田さん
★宮前区少年野球連盟会長 相馬さん
★有馬こども会野球部部長代理 大竹さん
★鷺沼ヤングホークス監督 黒須さん(...は急遽欠席。黒須節を聞きたかったが)
.....上の文字、漢字の画数多すぎでしょ。
その他ご招待は、南部リーグ6チームの子ども大人各チーム20名ずつ、フレンズOB卒業生、OBコーチ、OB家庭...たくさんの人々に来ていただいた。
当初、ウチのようなスタッフの少ないチームが、大風呂敷を広げて大人数を呼んでしまったら、きっと失敗して来場者に失礼になるだろうとの懸念があり、連盟全チームに声をかけるのは躊躇われた。結果地域リーグの6チームだけに絞ったのだけど...案外もっと来ていただいてもイケたかも?というのが正直な感想だった。
「畑のおじさん」も招待すればよかった。
どうせやるならドカンと花火を打ち上げて。でもやはりこれくらいが分相応だったかな。
↓↓↓前半の最後は監督挨拶と選手自己紹介。ウチの監督はちょっと珍しい(?)チームのOB卒業生である。かつての黄金期のメンバー。去年まで柳澤さんが監督を務めていたが、その教え子が今年から監督に就任。光陰矢の如し。今は昔。盛者必衰の理あり。...ん、ちょっと違うか(^^)
↓↓↓選手自己紹介。学年・背番号・名前・ポジション&将来の夢など。
小さな子どもは緊張して言葉が出なくなることを思い、事前に何度か練習した。本番でその場面があったらなんとか子どもをフォローして欲しいと、壇上に上がる28番川上コーチを補佐役に指名し、いざ...。老婆心に終わった。みんな元気よくちゃんと言えた。勝手な想像だが、家庭でスピーチの練習をしていた子もいたのではないだろうか?それだけでも、親子の団らん・コミュニケーションの一助になったかもしれないね(^^)
特筆すべきは、ほぼ全員「将来はナニナニの誰それ選手のようになりたいです!」と異口同音に口をそろえて言うのに対して、ひとりだけ「将来は板前さんになりたいです」と小さい声ながら言ってのけたSuzuki。思わず心の中で拍手喝采してしまった。おまえはエライッ!案外大人になって一番の大物になったりして。

↓↓↓後半は豊田泰光さんの講演会。
No.1=実行委員長荒金、代表柳澤、監督佐藤、29大坪、28川上、母マネ神谷、サブマネ井上(し)の面々。遠近法の線の消失点にいるのは式典担当委員西原、OB母委員井上(み)である。みんなみんなお疲れさま。
No.2=豊田さんの話の途中、氏がいきなり会場の選手を指名して壇上に上げるハプニング。前後の話の流れからして、ちょっと緊張した空気が会場を支配しかけたが、次の瞬間割れんばかりの拍手。スラッガーズの子の背中を押してやりたくて、会場最後方から口火を切って拍手したのは実は私でした。
No.3=最後のご挨拶大坪コーチ。「魂の記念誌」のフレーズには驚き、感謝!
No.4=豊田さんを囲んで。連盟相馬さん、県議持田さん、市議飯田さん各氏。
No.5=我がチームの司会ウグイス嬢(?)室井母委員。元プロの○○○歌手。流石の美声である。会場に朗々と流れる声は「千の風」を彷彿とさせた。本番の大役を見事にこなしてくれた。アリガトウ!(飲み過ぎ注意だぜ)
ここには写真がないが...同じく実行委員の大竹母。せっかくの美女の写真がなくてまたお叱りを受けそうだが(^^)
実行委員の母たち、更に広告集めの母たち。勝負に白黒つけるのは好きだが、誰が一番貢献したかなどを挙げつらうのは私の本意ではない。がしかし、今回だけ敢えて言うならば...。この度の記念事業全体で陰になり苦労を惜しまず頑張ってくれたのが大竹母だ。記念誌のみならずほぼ全てのパートで大活躍してくれた。普通なら腰が引ける裏方仕事をいつも笑顔で事もなげに引き受けてくれた。なかなか常人に出来ることではない。副委員長としても個人的にも感謝したい。アリガトウ!(同じく飲み過ぎ注意だぜ)

この他にも感謝しなきゃいけない人はいっぱい。いずれこのブログシリーズに「記念誌編」も加えようかな?そこで他の人には深謝申し上げたい。
次回はいよいよ「祝賀会編」これは写真の選択が難しい。
「顔写真掲載全然OK派」の多数派と、「勝手に掲載すんなよな派」の少数派があるからだ。普段マイノリティーを大事にしたい私ではあるが、ええい、載せちゃえ!
次回をお楽しみに...って、チーム関係者以外の全国の読者の方々には興味ないかもですね。スンマソン!
※普段のこのブログでは個人名を極力英文字表記にしてますが、公式行事ゆえの公平性を鑑み、大人は実名での表記にしました。関係各位ご了承下さい。

2010年7月13日火曜日

30th「練習編」

※「晴耕雨読」から転載です
30周年記念式典当日の午前。
プロ野球解説者の豊田泰光さんをお迎えし、練習を見てもらいながら子どもたちの指導を。昔の氏のイメージは恰幅の良いどっしりしたものだったが、一度大病を患ったせいか、さすがにお歳を召されたなあ、との感は否めない。それでもダンディーさと舌鋒の鋭さは健在のようだ。
「子どもたち一人ひとりに声を掛けていただき、指導をしてもらう」というのがコンセプトでありポイントだったけど、果たしてどこまで実現したのかどうか?行き届かない点があったならば氏の責任ではない。実行委員長に成り代わり、副委員長のテッシーが陳謝。
グランドの隅で小さい子どもたちだけ集めてノックをしていたKawakamiコーチのところへ。
普段から彼は小さい子のことをチーム内で最も気にかけているコーチだ。その彼の顔がイマイチ冴えない。というより少し憮然たる表情。
....ピンと来た。
すぐに今度は委員長のAraganeさんのところへ行き、耳打ちした。
「あとで豊田さんに小さい子たちのノックも見てもらってよ」
30分後チビッコへの指導が実現の運び。少しホッとした。
そんなこんなでアッちゅう間に昼メシタイム。
弁当はうまかったけど、目に見えないナニモノカに追い立てられてるような気分でメシをかっ込み、早々に席を立つ。
ふ〜っ。いよいよ午後の式典が待っている...。
そこでは先日同様の、ごまラー油風味の脂汗を流すほどの、足がつってしまう地獄が待っていようとも知らず、テッシーは式典会場の体育館へ向かったのだった。
...つづく(^^)

燃え尽き症候群?

※「晴耕雨読」から転載。
30周年記念事業4ヶ月間の苦労が報われた一日。
ワールドカップ1ヶ月間の興奮が終わった一日。
これから周年行事を迎えるであろう全国の少年野球チームの、ほんのささやかな参考になればと思い、今後数回に分けてブログアップしたいと思います。
とりあえず今日は120枚の写真の整理、選択と削除。それだけで精一杯。
やっぱり燃え尽き症候群?
終日ボ〜ッとして昼間は仕事に身が入らぬ。昨日は0:00頃(?)二次会から帰宅、速攻シャワーを浴びて速攻ダウン。布団に倒れ込みたかったけど、携帯アラームセットしAM3:00に起きねばならないから、仕事部屋の床にゴロン。W杯決勝を見逃したら今後4年間毎日を後悔しつつ過ごすハメになるからね。しかし...気がついたら朝の4:30。慌ててTVをつけて後半戦からの観戦。面白かった。けど、贔屓目なしで日本対デンマーク戦が自分にとっての今大会のベストゲームだった。
式典当日の午前は「練習編」午後は「式典編」でもって夜の「祝賀会編」
写真とともに順次掲載...のつもり。
今日はその中で式典前に撮影した、プロ野球解説者豊田泰光氏を囲んでの一枚をアップ。ウチなんか選手20数名だからまだいいけど、50,60名のチームなんか大変なんだろうなあ。
ん、そうだ思い出したぞ。午前の練習終了後、テントを片すために地面に打ち込んだ金具のクイを引き抜いていたスタッフ4,5人に一言。
.....整いました。
「クイはちゃんと引っこ抜いておいてね。あとで後悔しないように。
悔いが残るから....」
わかってくれたのはOhmori母だけだった(^^)

2010年7月9日金曜日

30th記念誌完成!

※「晴耕雨読」からの転載です。
とうとう出来た! ナニがって?もちろんフレンズ30周年記念誌。
いろいろ心配や懸念があったけれど、全然素晴らしい出来映え。
全部で300冊。写真の3倍の冊子数。宅配便のおじさんが汗だくで5階までの階段を3往復してくれた。思わず冷たいビールをご馳走しようかと思った。
このズッシリ感が今までの約4ヶ月間の時間と苦労の重みと重なり、ジワリこみ上げる。本文72ページプラスカラー表紙全てのページをデザイン、編集。
記念誌の内容や経緯など、詳細はまだ式典前なので、ここで紹介するのは性急というものだろう。ロードショウ前の映画を関係者だけで試写するように、ちょっとだけ表紙の絵の写真を公開。(ブログ読者は関係者なのか!?)
いずれ7/11の記念式典過ぎたらこのブログでこいつを紹介してみたい。そのうち書いてみよっと。
仕事を23:00に切り上げ、風呂+ビール。今は、もともと活字バカの小生はこの冊子を酒の肴に冷やのコップ酒で1杯。(正確には3杯目)
いろんな人に感謝しなければいけない。
とりあえず今日は...。
株式会社ラジオグラフィーの横田社長、スタッフのみなさん、印刷工程のお父上。印刷初日の土壇場で真っ青になる事態には正直ナーバスになったけど、みなさんのおかげで窮地を切り抜けられました。写真のモアレはいい勉強になりました。モウ、アレはこりごり。
ありがとうございました(^^)
本職は店舗の設計・デザインの小生。出来上がりを見て満足するのはまだ青二才。本当のデザイナー冥利は、これが人の手に渡り、たくさん見て読んで喜んでもらえること。

2014年有馬神明社初詣

2014年有馬神明社初詣
2014/01/05

2010年7月11日30周年記念式典にて