新有馬フレンズHP&BLOG

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どうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m

有馬フレンズ公式WebSite

少年野球「晴耕雨読」BLOG

☆有馬フレンズ チームプロフィール ☆

当チームは、昭和55年有馬地区で結成され、今年で創部32年目を迎える軟式少年野球チームです。毎週土・日曜など有馬小と西有馬小の校庭を中心に元気いっぱい練習していますが、お父さんお母さん達も子どもに負けないくらい一緒に野球を楽しんでいます。子どもをサポートする大人同士のチームワークもバッチリです。
活動内容は上記練習のほか、宮前区の各種大会(年間5~7)や他の大会に参加しています。また野球以外には、夏合宿やボーリング大会などのレクリエーションなども盛んに行っており、子どもたちの交流も楽しそうです。
「百聞(文)は一見にしかず」
親子はもちろんのこと本人だけでもOK、是非一度グランドへ遊びに来てみませんか。いつでも歓迎します。(練習や試合の時間・場所などご確認の上お越しください。)
過去の主な成績
★川崎市および宮前区各種大会において、優勝・準優勝多数
★マクドナルド杯神奈川県大会:優勝 
★全日本学童神奈川県大会:準優勝
★関東団地野球リーグ:優勝     
★川崎北シニア藤峯杯:優勝
※所属 宮前区少年野球連盟 
※チームは小学校の活動とは関係ありません

2011年12月26日月曜日

みんな笑顔で!


※「晴耕雨読」から転載。
みなさんは昨日のイブはどんな晩を過ごしたでしょうか?
私事で恐縮なんであるm(_ _)m
筆者は配偶者と娘夫婦の家で。娘夫の両親も加わり大宴会。
私事で恐縮なんであるm(_ _)m
目に入れてもちっとも痛くないというアレ、Blog初公開なんであるm(_ _)m

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今日、12月25日はチームの最終練習日。
うちは毎年最後の練習日はレクリエーションをやるんである。
最初はドッジボール大会。

大縄飛びなんかもやったりして、子どもたちはメチャ楽しそうだ。

卒業生保護者からの今年の贈呈品は新しい応援幕。グランドデビューした。
その前でみんなでパチリッ!

これも毎年恒例、昼食は母たち手作りカレー大会。
毎年いろんな家庭の味が楽しめるんである。
いつも筆者は子ども用甘口、大人用辛口をよそってもらい、堪能しちゃうのだ。
今年もウマかった、ごちそうさま。

さてこれも例年恒例のメインイベント、子ども対母の試合なのだ。
それにしても今年の母たちはむちゃくちゃヤル気マンマンなんである。試合前には肩ならしにキャッチボールまで始めた。筆者少しでもお手伝いしようと母たちにノックを買って出る。
「一列に並べぇ〜!おめえらエラーしたらグランド10周だかんなっ!」
「ううぃ〜ス!お願いしま〜ス!」
試合開始(^^)

毎年このブログでは母の顔出し写真掲載を躊躇してきたんだけれども、この際テンション上がってるので、まっいっか(^^)
だってみんな読者モデルのような美人ぞろいなんだから(筆者スリ鉢を取り出す)
だってみんな香里奈や松嶋菜々子みたいなんだから(黙ってゴマを投入する)
だってみんな....(必至にスリコギでゴマをスリ潰す)

広報部長・カメラマンとして情けない。
打撃の写真はピントが後方に合ってしまい(広報だけに)、肝心のバッターは若干ピンボケになってしまった。せっかくの美女軍団なのに申し訳ない。
これは全て筆者の不徳の致すところである。
(スリコギ持つ手にそろそろマメが出来る)
しかしみんな笑顔が素敵であった(^^)


毎年見てるけれど、それにしても母たちは予想外に野球がうまかった!マジ。
途中からオヤジたちも参戦し加点するも、結果は15:8で子どもたちの勝利。
子どもも大人も、みんな笑顔で今年最後の楽しい一日であった。

最後に締めくくり、Yanagisawa代表の音頭でマウンドを囲み全員で手締め。

筆者これを見て思った。
連盟記念誌の裏表紙にも使ったアイディア、映画「愛と青春の旅立ち」のラストシーンでの海軍兵学校の学生が帽子を投げ上げるシーンを。
やらせちゃおうっと(^^)
いち、にぃ、さんっ!

2011年12月20日火曜日

卒業生を送る会2011(2)


※「晴耕雨読」から転載。
昨日に引き続き「送る会」のPART2、後半である。(長文です。今のうちにトイレへ行っておいてね)

毎年6年生保護者からチームへ贈呈品がある。筆者の娘の卒業の時はベースを贈った。当時はスライディングして触塁するとキャンバス地で出来たベースはいとも簡単に、地を這う手裏剣のごとくすっ飛んで行くヤツだったからだ。今でもゴム製のベースをひっくり返すと当時の卒業生の名前が書いてある。十数年前のものである。
今年はバットケースと....横断幕=応援旗である。
2000年に作った応援旗を一新し、新応援ロゴを配したもので筆者がデザイン制作。当初ネットでチョイスした業者で見積をとり生地サンプルを取り寄せ、発注の寸前までこぎつけたのは11月下旬。しかし仕上がり感にどーにも納得がいかない。その業者への最終発注のボタンをクリックする直前で思いとどまった。
「安いけれど本当に悔いはないか?」
完璧を期するスティーブ・ジョブスの声が天から聞こえた(ような気がする)。
再度イチからネットで検索してみる。数社に絞りその中の一社、栃木の「幕壱」さんに決めた。完全データを送り再度印刷生地サンプルを請求確認し今度は納得の上で発注。最初から最後まで製作過程での逐一の丁寧な対応、誠実さに満足である。自宅へ届いた完成品も素晴らしいモノだった。
このお披露目をサプライズ的に演出するために、古い幕の裏にこの新しい幕を仕込み、「幕の除幕式」を密かに計画。古い幕をバッサリ床に落とすと「せ〜の」で新しい応援旗が現われるという寸法。カーネギーホールでのスタンディングオベーション同様...とまではいかないが、「おお〜!」との歓声が上がる。上々であった。

卒業生保護者の挨拶。今年は「涙」を見せてくれたのはOnoちんママ。幼稚園の女児が道に迷って泣いてる姿のようであった。普段の豪快さとは裏腹に可愛らしい一面を垣間見た(^^)
鷺沼ヤングホークスさんや「台風一過」さんみたいにDVDのスライドショーをやれば絶対涙涙の感動ものなのだけれど、未だ実行に至らず。なぜやらないかって?毎年やること目一杯なのに、これにDVD制作の激務を加えたら筆者絶対過労死するのは間違いないからだ。卒業生保護者の涙を見る前に、筆者の家族が涙を流すハメになっちゃう。

佳境である。
実は来年は監督が交代する。
Satoh監督はOB選手の生え抜き監督であった。子どもからの人望も厚い熱血野郎の好青年ではあったけれど、彼もいつの間に来年30歳の大台になる。Satoh君の固い意志により来年の監督は辞退し普通のコーチとしてフレンズを支えることになった。このあとの二次会に来た彼の弁で正式発表。オイオイもしや来年結婚か?との口撃で盛り上がるが、彼の持ち前の曖昧さ加減のノラリクラリ戦法でこの難局は乗り切ったようだ。
新監督は現29番のOtsuboさんが就任。
学校の先生に例えれば、聡明で真面目でいつもニコニコ時に厳しい学年主任が、教務主任に昇格したような好人物。きっと来年の子どもへの監督賞は富士通の最新ノートパソコンに違いないと期待するんである(^^)

最後に集合写真をパチリ。
今年も和やかな雰囲気で会を終了することが出来た。
陰で大変な準備をしてきたInoue母はじめ全員の親たちに感謝したい。

さて余談ではある。
二次会は卒業生保護者主催で有馬の老舗名店「葵扇寿司」にて賑やかに大宴会となり、その後有志というか残党10名ほどがカラオケスナックへなだれ込み勝手に独唱大会。更にあろうことか、その中の落ち武者オヤジ3名はビールとお茶漬けを求めて居酒屋へもぐり込みラストオーダー30分勝負を終えてやっと解散。
しっかし、よくやるよねえ〜...。

落ち武者オヤジの一人が筆者であった(^^)
帰宅し洗面所の鏡をのぞくと、鏡の向こうで、見たことのある顔の落ち武者が俺を見ていた。

卒業生を送る会2011(1)

※「晴耕雨読」からの転載です。

夏の合宿と冬の送る会は少年野球チームの2大イベントと言っても過言ではないであろう。

スポーツ少年団ではないから「卒団式」じゃないし。
部活でもないから「卒部式」でもないし。
学校ではないから「卒業式」ではもちろんないわけで。
学童野球に属する場合、なんて言えばいいのだろう?
宮前Queensでは6年生を送るから「六送会」というようだ。
いち団体を旅立つのだから「卒団式」でもいいのかな。
うちのチームでは「卒業生を送る会」と言っている。それが昨日の日曜に開催。

会場は昨年から利用している地元近隣のオンワード研究所内の、おしゃれなレストランを借り切っての開催。Kanedaコーチの乾杯の音頭で始まった。

地元有馬の川崎市会議員織田さんにも駆けつけていただき、ご挨拶をいただく。
六年生と五年生は同じ中央の円形テーブルに着席。カメラを向ければお決まりのピースサインは全国共通である。百貨店の商品券に匹敵するんである。
「それではしばらくご歓談を...」の合図と共に、フレンズ広報部長の筆者は速攻でバイキングの列に並ぶ。もう何年も前から経験値として知っているんである。こういう会では一部の進行役や写真撮影で、ほとんど料理も酒も口にするヒマがないのだ。昨年はビール2,3杯とツマミ2,3品だけであった。だから今年はパスタ2種とピラフの炭水化物強力トリオを速攻で胃に収める。

男性でもグラスやマイクを持つと、必ずといっていいほど小指を立てる人がいるんである。2009年の国民白書によると「あなたはマイクを持つとどうしても小指が立ってしまうほうですか?」という問いに対して、「はい」が「いいえ」を凌駕するまではいかないまでも、以外にも全体の9.3%を占める結果を得られたという。これには内閣府の統計係官も少なからず驚いたようだ。

もちろん嘘である。
我がフレンズコーチきっての愛妻家であり、かつてはT大S模でその豪快左腕を全国に轟かせた....かどうかはわからない、Yanagisakiコーチの左手小指はお約束どおり、お茶目に立っていたのだった。
年間成績表をA1サイズで作った。うちのプリンターは職業上A3出力対応なので、4枚に分割し貼り合わせてA1に。今年の成績で特筆すべきは首位打者の主将Nabeである。6冠を取った。首位打者としての打率4割3分は少年野球では決して珍しくない成績であるが、長打率が凄かった。普通単打が一番多く次に2塁打、3塁打、本塁打とだんだん少なくなっていくのが常であるけれど、Nabeの場合単打よりも2塁打が断然多く、結果長打率は5割6分6厘である。つまりヒット数のうち半分以上は2塁打以上を打っている計算になる。長打率は足の速さも影響するけれど、ちょっと驚いたわけで。
さてさてブログ一気呵成に書こうと思いきやの午前2:30。
この続きは明日の朝刊で...。
もちろん嘘である。
TVの通販番組では「ちゃん・軍足」のプレミアムオリジナルグッズが今ならなんと9,800円などと叫んでいる時間なんである。
こっちのブログは閉店ガラガラなのだ。
明日また!

2011年12月5日月曜日

同じ釜のメシ

※「晴耕雨読」から転載です。

木枯らし1号が吹き、サンダーバード2号が飛び、パーマン3号がマントをひるがえす頃、南部リーグが佳境に入り、そして今日今年もあと残り僅かの12月4日に閉会式を迎えた。「晴耕雨読」Blog史上最多記録更新の掲載写真数なんである。

全7チームが6年生を中心にのびのび野球をし、結果優勝旗をかっさらったのはご存知鷺沼ヤングホークス。今年はリスト杯(神奈川県大会)で3位まで勝ち昇った強豪であるからして、推して知るべし、何をか言わんやなんである。フレンズは今年はよりによってヤングさんとは4戦も交え、全敗・完敗・惨敗の三重苦を味わうハメになった。何はともあれおめでとう!
(全写真はクリックでまとめて拡大。黒い部分をクリックで元ページに戻ります)

村山杯と南部リーグは賞品が結構いいのだ。いろんな各賞を設け、卒業する6年生を祝ってあげる意味合いがある。各チーム最優秀選手賞・ホームラン賞・大会MVP・会長賞etc...。参加賞は全員にメダル授与。各チームの監督コーチから直接手渡し。冠を何も獲れなかったうちのような選手には、せめてもの喜びになるのではないだろうか。
フォルコンズFukumotoさんが有馬子ども会Bのプラカードを見て言った。
「略してAKBじゃん」言われたアリコの子たちは苦笑いだったそうな。

ふた手に分かれて紅白戦。
「鷺沼ヤングホークス」「松風スラッガーズ」「有馬子ども会」軍VS「野川レッドパワーズ」「南野川ブルーアローズ」「野川台フォルコンズ」「有馬フレンズ」軍。大人も子どもも、勝ち負けよりも野球を思い切り楽しんじゃうぞ的な笑顔で試合開始。主将・副将・エース級・クリーンナップクラスの面々だから、観戦するのも楽しい。

写真は投手編。フレンズのみならず宮前の少年野球応援ブログ(宮前連盟、半ば公認か?)を勝手に標榜する筆者は、日頃のスコアラーの呪縛から逃れ写真を撮りまくったんである。自チーム関係なくばっしゃばしゃ、かっしゃかしゃ。

バッター編。さすがスラッガーの猛者(もさ)どもである。みんないい構えをしているぞ。ただ内容はイイところを見せようとしたのかどうか、目の覚めるような当たりは数本、悪く言えば貧打線、というか良く言えば投手戦となった。


サッカーでは良く見かける試合後の相手チームとのユニフォーム交換。
誰が始めたのか、最初はバッターが自分のヘルメをかぶらずに、他チームのヘルメを拝借し打席へ。ブルーのユニフォームにレッパの赤いヘルメット。次第にみんなへ感染し、最後は上着も子ども同士交換してプレー。
なかなかやるじゃん!と思った。
来年同じ中学へ行った時、「おっ!おまえあん時の?」「えっ?ユニフォーム交換したアレ?」...みたいな。見ていてとても嬉しい光景であった。
NoSide....と言っても最初からNoSideな空気ではあったけれど(^^)

おまけ。
校庭開放利用団体は校門の外で喫煙するのは、もはや全国的な常識であり時代の趨勢(すうせい)でもある。
愛煙家が煙草を吸うせいでもある。(ワカリマスネ?)(^^)
そこでは自チーム以外の人との気軽な交流の場ともなる。クリントン国務長官がアウン・サン・スーチーさんと抱擁するようなものなのだ。(チガウカ?)
煙草を吸うバカなニンゲンどもを冷ややかに横目で眺めながら、バイクに繋がれた「ももちゃん」コーギー9歳がおとなしく主人を待っていた。
試合が終わると主人とともに、バイクにのっそり自ら乗っかり静かに去っていったのであった。

2011年12月4日日曜日

赤ちゃんチーム勝利


※「晴耕雨読」から転載
今年最後の試合があった。6年も5年も抜きの4年生以下のメンバーでの練習試合である。先週の日曜の駆け込み試合。宮前連盟では子どもの肩を守るため、冬場のシーズン12月から2月までは対外試合禁止令が出たんである。1月までが通例だったけれど、今回は2月まで...。賛否両論あるとは思う。小学生で硬球を扱うリトルリーグなどでは、投手の一試合での投球数なども厳密に制限されているし。Bチームが確立しているマンモスチームと違い、反してうちのような試合経験の少ない選手が多いところでは、練習試合をこなして学習することも多々あるわけで....。冬場はじっくりと体力作りと、野球を知る、覚えることの練習に専念するしかないか。

4年以下のメンバーは県レベルのチームから見ればまるで赤ちゃんのようだ。
それでも野球の楽しさを体感してもらいたいのと同時に、低学年ながらも勝つことの喜びと厳しさ、チームの和や物事に集中することの大切さなども、ちょっぴりでもいいから感じ取って欲しいものだ。トンネルして笑っていられるのも今のうち。
対戦相手は松風スラッガーズさん。
うちのYanagisawa代表が絶賛する来年のエース(?)ポークビッツHigoちゃんは5年生でいなかったけれど、実力未知数の雰囲気がある。
先発はMamoru。ガタイがあるので将来の期待大である。3回まで無四死球、被安打0、1失点の大好投を見せる。4回からはRuiにスイッチ。他のコーチの見立てはわからないが、私Tコーチの審美眼に間違いがなければ彼は5,6年になったら大化けするんじゃないかと、密かに思っているんである。全世界の読者の方、誰にも言わないでネ、内緒だよ(^^)。写真のフォームを見ても素直で綺麗だ。3,4番に2塁打を連打されたものの、投球内容は立派なもの。今年入部したまだ2年生である。
教えなくても自然と、どんどん出来ちゃう子っていますよね?
昔フレンズ黄金期に宮田君というのがいた。(以前このブログで詳細記載)シニアから東北高校へ学力で進学、3年生の甲子園では全国準優勝し、ダルビッシュの一年先輩、慶応大学では野球部主将を務めた、我がフレンズでは一番の出世頭の伝説のヒーローである。風貌もイケメンで似てるし、彼とダブらせて期待するのは筆者の穿った見方かもしれないが.....。

例によってスコアラーはサブのMitsuyo女史に任せて、フレンズ広報部長になった筆者は、ペンを捨てカメラを手にし若いチームの面々をSDカードに収める。
全員は無理だったので漏れた子にはゴメンチャイなんである。

悩める大砲O.Hiro。
今年は三振の山を築いた。スイングは悪くないのにほとんど振り遅れが原因。
そのHiroがこの試合では4打数2安打(タイムリー2ベースヒット2本)2得点、打点4を叩き出した。来年もこのバットの感触を忘れずに頑張ってほしい。

さて恒例名物となったTakutoの火を噴く雄叫びなんである。
ゴジラ松井ならぬ、子ジラTakuto。地面は黒こげ、相手捕手は火傷しそうになった。松風さん、スポーツ保険でよろしくです。但し野球をやっていて火傷を負ったという理由が保険会社に通るか否かは筆者責任持ちません(^^)
結果は17:2の大勝であった。
ベストプレイヤー賞は投手二人と、打撃のHiro。来年本当のHeroとなるか!?

2011年12月3日土曜日

「エクセルにアクセル」2


※「晴耕雨読」から転載。
スコアブックのExcel集計、更に全12ページに及ぶ年間成績の冊子デザイン・制作・編集までが終わった。エクセルにアクセルを踏み込んで佳境に至る。「エクセルにアクセル」は以前も使ったダジャレで今回も確信犯的にブログタイトルに使っちゃうのだ。

今回はExcelでの集計はほとんどチームの父Ohmoriさんにやってもらったおかげで随分と助かった。だから今年はちょっとは余裕かませるかなと思いきや、義父の葬儀や諸々の事後処理などで時間を取られ、カレンダーを見たら例年どおりタイムリミットの12月4日はもうすぐで。
少年野球の年間成績表でありながら、卒業生の想い出アルバム的側面もある。挿入した写真はおそらく40〜50枚はあろうか。表紙に使う写真は連盟20周年記念誌にも載せるものを選択。データはExcelをPDFに変換したあと、全てIllustratorとPhotoshopというグラフィックソフトで作った。とんでもない重さである。12ページ320MB。素人の方にはピンと来ないと思うけれど、どれだけ重いのかというと、象の代わりにこの320MBのデータを乗せたら、さすがのイナバ物置も社長もろともぺしゃんこになるくらいなのだ。
しかしまあ、良かった。あとはプリンタで出力して、今度はチームの母Fukaeさんに渡し、コピーを量産してもらい冊子に製本。12月18日の「6年生を送る会」に配付なんである。ここではサワリとして表紙のページとデータを収納してるフォルダのデスクトップを掲載。


先週の日曜、有馬中学校で新人戦があった。
うちのチームの卒業生が野球部にいる。まだ1年のヒヨッコなので応援席で頑張っていた。中学の野球となればレギュラー争いは少年野球のそれとは比べものにならないわけで。
昨年のチームOBに「記録よりも記憶に残る」子がいた。Muroiである。ヤツにレンズを向けるとサウスポーでVサインを送ってくれた。
いい笑顔だった。
全国の少年野球のコーチ全ての100%賛同を得られると思うのだけれど、チームを巣立った子が中学やシニアに行き...いや、違う道を歩んでいたとしても、その子が笑顔で挨拶してくれることほど嬉しいことはない。.......コーチ冥利である。

有馬小に移動し、成績表に載せる卒業生の写真を撮る。主将のNabeはシニア見学で不在だったが、あとの5人を集めてカメラを構える。単純な集合写真ではオモシロクないわけで......。
アイディアは瞬時に浮かんだ。
私「おっし、EXILEで行こうぜ!チューチュートレイン!」
ヤツらも瞬時に縦一列になり私の指示に従う。試合中のサインにもこんだけ言うことをきいて結果を出してくれていたら....。

「Teshimaコーチ、今度は千手観音やりたいっ!」と宣(のたま)うヤツら。
私「おっし、千手観音行こうぜ!」.....(千手観音って、よく知ってるなコイツら)
わらわらと隊列を変化させて手を伸ばす。
私「Katsuは手を斜め下っ、後ろのHiromiはバンザイっ!」
練習中の指導にもこんだけ言うことをきいて結果を出してくれていたら....。

最後にもうひとつアイディアが浮かんだ。
私「おっしゃあ、EXILEと千手観音のコラボレーション行こうぜ!」
この子らもあともう少しで卒業である。

2011年11月29日火曜日

Rookies...新人戦

※「晴耕雨読」より転載

先週行われた宮前区新人戦。今日決勝戦があり、富士見台ウルフ少年野球クラブが優勝とのこと。こちらフレンズは一週間経ってしまったけれども、色褪せないうちに書いてみたいと思う。琥珀の中に閉じ込められた恐竜のDNAほど古くはないはずだから、許してタモレなんである。

うちはこの一年、Bチームを作るかどうかのボーダーラインに揺れながらとうとう1年が経ってしまった。帯に短しタスキに長し。人数、協力父母、指導体制などを鑑みたとき、二の足を踏んだのは事実。来年はまた選手数が少なくなってしまう。B=新人チームはほとんど試合らしい試合はやってない。
その来年のチームの実力を占う新人戦。占いは飽くまで占いだから、当たらない場合もあるわけで。でもある程度各チームの「勢い」は分るというもの。
開会式でのショット。
Sohma会長、Ogasawara副会長、記念誌プロジェクト御大でもあるKasahara副会長の面々...。立派なトロフィーも用意されている。

連盟の裏方軍団。連盟事務局メンバーである。大会運営のみならず、日頃の宮前少年野球を底辺から支えている黒子のメンバーだ。
左からフレンズNishihara、アリコOhtake、リトグリ(Queens)Yamaguchi、そして記念誌プロジェクト編集長の元ウルフNishimuraの各氏。深く濃く感謝である。どれほど深く濃いかと言われれば、恐竜のDNAが閉じ込められた琥珀くらいに深く濃く感謝なんである。

場所を移動し初戦は対南菅生ワイルダース。先発I・Takumiでプレイボール。
初回4失点すればうちも4得点で同点。2回にはまたも4失点でその裏2得点の、8:6の激戦だ。3回にはついに7失点を喫す。裏になんとか2点を返すものの、気がつけばスコアは15:8の7点差をつけられた。最終回の裏....。少年野球、特にBチーム、セオリーのない若いチームにありがちな急展開。7点差をはね返しうちが8点をスコアボードに叩き込み、大逆転の15:16のサヨナラゲーム。

ダブルヘッダーの相手は宿敵・強敵でもあり、仲良し友軍の鷺沼ヤングホークス。試合前にヒマな6年生のOtoは「31アイスクリーム」のトリプルよろしく、ヘルメを3段かさねて移動のナイスキャラ。チームのムードメーカーたる所以。

先発はKohta。相手はすでにBと言えど百戦錬磨の、すでに出来上がっているAに近いBのようなもの。コテンパンにやられた。大差で負けることは予想していたものの、ケタが違った。悔しい。願わくば来年もヤングとは同じヤマで当たりたくないなあ(^^)...。野球の練習以外にも、主将にはジャンケンとくじ引きの特訓を課したほうが良いかもしれない。
それでも我が打線は気を吐いた...けれど無安打。1得点のみの貧打線。

打線は気を吐いたけれど、ひとり気を...じゃない、火を吐いたヤツがいる。
すでにフレンズ名物となりつつあるうちのS.Takutoである。
一球ずつ金切り声を叫び気合いを入れる。良いことだ。少なくとも声の出ない子よりは元気があってよっぽど良い。
但し喉を痛めないようにね(^^)

2011年11月15日火曜日

快勝!6年最後の試合

※「晴耕雨読」より転載。

南部リーグ最終戦。冠試合では最後の、そして6年生にとっても最後の公式戦となる。
南部リーグの発足理由は、6年生への「お疲れさま的想い出作り的親善試合的」要素が色濃い。野川レッドパワーズさんが発起人となって、宮前区をほぼ2分する246号線(厚木街道)の南部地区を中心としたチームで構成され、結構歴史も重ねてきた。
相手は同じ有馬地区で活動する有馬子ども会野球部。町内会下部組織の子ども会の野球部である。フレンズとも西有馬小校庭を共有してたりもする、お隣さんチームなのだ。率いるは有馬の顔Kawakoshi監督。対するうちの監督は久々の現場登場、Satoh監督である。第14期卒業生の宮前でも希有なOB監督なんである。

試合開始10:02。
1回裏F攻撃=先頭打者I.Takumiのいきなりのツーベースヒットで出塁すると、3番Otoの安打で3進、4番Nabeの一塁ゴロの間に本塁を踏み先取点。まずまずの滑り出し。
6年生の親たちも最後の試合とあって、続々登場。なかでもKatsumiの父さんが来たのは嬉しかった。彼は通信電気工事関係なので土日は仕事で滅多に顔をだせないのだ。いつも我々オヤジどもと会うのは、夜のとばりが下りてから、グラス越しの乾杯の時だけ。父子だけの家庭で子どもを育てるのは、我々バカオヤジどもには想像出来ないほどの苦労があるはずだ。やはり人の親。息子の最後の試合に仕事を抜け出し駆けつけたわけで....。
こっちも黙っちゃいない。Hiromiの母も登場。例によってベンチ後ろからOno母のトークが聞こえてくる。
「アリコのさあ、先発ピッチャーのあの子Kaname、可愛い〜のよ!うちの近所なんだけどね。昔うちのHiromiと一緒にフレンズに見学に来てさあ〜...」
久々に雀を見かけた話ではなかった。二人がフレンズに見学に来たけれど、K君はアリコに行っちゃって、息子Hiromiはフレンズに。そのK君は先日の宮前区のストラックアウトで優勝する投手に育った。それでもOno母はガハガハ笑いながら、相手チームのK君も応援していた。そんな逞しく度量の大きな母がフレンズにはいる。大きいのはそれだけじゃないけれど(^^)母子(ははこ)の家庭ではあるけれど、苦労のクの字は微塵も見せずに、いつも周りを元気にしてくれる。
筆者、こんな父や母が大好きだ。

3回裏F=3,4,5番のクリーンナップに連打が出て追加点、2点目。
先発Otoはサイドスローから再び元のオーバースローに転向。これが功を奏した。見違えるようにストライクが入り球も走り、自信と笑顔が戻った。6回までノーヒットノーランである。Satoh監督が捕手のNabeを呼び耳打ちする。聞こえなかったけれど、想像豊かな筆者の予想ではたぶんこんな感じ。
「おい、Nabe、おまえのリードでOtoのノーヒットノーランを達成してやれよ」

5回裏F=先頭打者Teruが5球目の低めインコースをなんとホームラン!
往年の西武田淵を彷彿とさせるような、滞空時間の長い体育倉庫屋根を直撃の一発である。悩める副将、冷静沈着、優等生のTeruの特大の一発であった。最後の試合で彼の心に何かが刻まれたはずに違いない。おめでとう!
これを皮切りに6年生の4連打で3点追加。

試合はノーヒットノーランは達成できなかったけれど、6:3の快勝。
間違いなく今年のベストゲームのひとつである。それが6年最後の試合でなし得たことが、筆者には嬉しかった。6年生全員の活躍が光ったのがいい。
怪我で参加出来なかったTaguchiがいないのが残念だ。いたらきっと彼も負けずに活躍してくれたに違いない。

ベストプレイヤー賞は6年全員。
投打が復活、大活躍のOto。
長短打4の3、4番主将Nabe。
本塁打と守備も光ったTeru。
左翼での好補と2安打のKatsu。
野手からの難しい送球を黙々とショーバンで拾い上げ、いくつものアウトを稼いでチームに貢献したHiromi。ついでにHiromi母にもあげちゃおう(^^)

ラグビーで言うところの「ノーサイド」
試合後は和気藹々、アリコの子らと一緒に写真撮影。
夜はみんなと酒を呑んで、家に帰って写真をMacで拡大してみると、チームの垣根を超えて何人かがお互い肩を組んでいたのを見て、それだけでなんだかウルッときてしまったオヤジの午前0:45。

ブログアップは仕事で月曜深夜1:30になっちまった、Tでした。
その夜のコーチ会議での顛末は時期を見てまたいずれ...。

2011年11月9日水曜日

チームを超えて野球を超えて.2

※「晴耕雨読」から転載。

一昨日の20周年記念イベント大会のPART2、午後の部なんである。
毎年やりたいよね、という声が全世界から届いているんである。

サッカーの世界では昔から「ナニナニJAPAN」が流通しており、例えば「加茂JAPAN」「トルシエJAPAN」「岡田JAPAN」などだ。野球でも「原JAPAN」などの呼称がマスコミで使われるようになった。最近では「なでしこJAPAN」が世界中を席巻したわけで。今年の流行語大賞にノミネートするんではないかと筆者密かに予想している。「あやまんJAPAN」なる意味不明のトリオもモグラ叩きのごとくあちこち出没。
我が宮前にも、「なでしこJAPAN」にひけをとらない...どころか少女時代やKARAにも勝る女子軍団がいるんである。

宮前の至宝、少女野球チーム「QueensJAPAN」じゃなかった、宮前Queensである。何度かここでも紹介したけれど、やはり女の子の野球は可愛い。(野球に限らないか)そのQueensがイベント大会午後の部のトップを切って「ロックソーラン」のダンスを特別披露。「ロックソーラン」とは、おそらくはソーラン節をロック調にアレンジしたものだ。アップテンポのソーラン節に合わせて女の子たちが踊る踊る。
記念誌写真班の筆者「なんかバックの舞台演出が寂しいなあ」...せっかくのお披露目なのだからと、私財を投げうって横断幕と看板を急遽看板業者に発注し、バックネットと丘の上に設置させたんである。発注から設置まで1時間の速攻早業。横断幕は特注サイズゆえの¥79,000、看板は巨大かつLED照明内蔵ゆえの¥9,800,000也。(税別)う〜む、半額だけでも連盟に請求しちゃおうかな。Sasaki事務局長お願いします。m(_ _)m

目を細めて孫娘を見つめるかのようなSouma連盟会長。
「Queens愛」と「ジャイアンツ愛」のKasahara連盟副会長兼Queens代表。
デンと構えてにっこり笑顔のSasakiさん。
主将Mちゃんの生みの親兼コーチ、モッチー父。
最後まで頑張れよと、心配そうに見つめるちょいワルオヤジ系Koshimizu監督。
Yamaguchiコーチは裏方仕事でバックネット裏。
その他、etc....。藤原紀香の結婚記者会見以来のカメラの放列なんであった。

最後はMちゃんがジャンケン選挙で(?)センターを務めキメのポーズ。


競技再開。
今大会イベントの華とも言える「ホームラン競争」である。
進行役のウルフToyodaさんのマイクアナウンスが軽妙洒脱の絶妙の技。子ども一人ひとりにマイクを向けインタビュー、会場をガンガン盛り上げる。
まずは模範演技、いや、模範打撃を披露したのはOgasawara連盟副会長兼富士見台ウルフ少年野球クラブ監督。
鷺沼ヤングホークスKurosu監督と同じくらいであれば、赤いチャンチャンコが似合う御歳(おんとし)である。それでも左中間外野の木立の中へ連発、綺麗な放物線を描いてまさに教科書のようなバッティング。脱帽である。筆者が脱帽するのは自殺行為に等しいから、滅多に脱帽しないのであるが。
各チームから選手が出場、予選を行い決勝に残ったのは7人。「七人の侍JAPAN」宮前の猛者(もさ)たちだ。普段の実力ならばもっとホームランを連発していたに違いないであろう面々。なにせ58,000人の大観衆だから上がっちゃうのも無理はない。けど、6球限定のトスで2,3本ホームランを打つことがいかに素晴らしいことか。大人顔負けである。


野球イベントの定番ストラックアウト。空のご機嫌は小雨がはらり、ぱらぱら。
午前の予選を通過した文字通り「腕」に自信のある各チームエースが登場。
「走攻守」というけれど、投手の場合どれに当てはまるのだろうか。一見どれにも該当しないようであるけれど、敢えて言えば「守」ではなく「攻」であろうか。ピッチャーは守備の場面で登場するけれど、実は打者に対して「攻」める人なんである。守備につきながらも同時に攻撃するのが投手独り。(我ながらいいこと言うなあ)

何が楽しいかって?
チームや野球の垣根を超えたひとと人の輪が素晴らしい。
子どもたちの笑顔がいい。
子どもながらの真剣な眼差しが素敵だ。
疲れた一日ながらその何倍ものエネルギーをもらった一日であった。

2014年有馬神明社初詣

2014年有馬神明社初詣
2014/01/05

2010年7月11日30周年記念式典にて