新有馬フレンズHP&BLOG

こちらのHPは新WebSiteへ移行しました。
下の画像「有馬フレンズ公式WebSite」または「少年野球「晴耕雨読」BLOG」をクリックして下さい。
どうぞよろしくお願い致します。m(_ _)m

有馬フレンズ公式WebSite

少年野球「晴耕雨読」BLOG

☆有馬フレンズ チームプロフィール ☆

当チームは、昭和55年有馬地区で結成され、今年で創部32年目を迎える軟式少年野球チームです。毎週土・日曜など有馬小と西有馬小の校庭を中心に元気いっぱい練習していますが、お父さんお母さん達も子どもに負けないくらい一緒に野球を楽しんでいます。子どもをサポートする大人同士のチームワークもバッチリです。
活動内容は上記練習のほか、宮前区の各種大会(年間5~7)や他の大会に参加しています。また野球以外には、夏合宿やボーリング大会などのレクリエーションなども盛んに行っており、子どもたちの交流も楽しそうです。
「百聞(文)は一見にしかず」
親子はもちろんのこと本人だけでもOK、是非一度グランドへ遊びに来てみませんか。いつでも歓迎します。(練習や試合の時間・場所などご確認の上お越しください。)
過去の主な成績
★川崎市および宮前区各種大会において、優勝・準優勝多数
★マクドナルド杯神奈川県大会:優勝 
★全日本学童神奈川県大会:準優勝
★関東団地野球リーグ:優勝     
★川崎北シニア藤峯杯:優勝
※所属 宮前区少年野球連盟 
※チームは小学校の活動とは関係ありません

2011年7月31日日曜日

少年野球「巴戦」

※「晴耕雨読」より転載。


巴戦とは大相撲で行われる3者による優勝決定戦である。相撲ファンならずとも知っている人は知っているが、知らない人はたぶん知らないであろう。バス旅行の途中で点呼を取る時に「ハイ、いない人は手を挙げて〜」という古典的ギャグに似ている。...全然似てないか(^^)
数学と綺麗な女性にはめっぽう弱いけど、ブンガクとオヤジギャグにはやたら強い筆者なので、巴戦の語源を調べてみた...といっても昔と違い広辞苑を引くまでもなく、ましてや国会図書館へ出向くわけでもなくNetでサクサク。勢力の拮抗する三者の優劣を決めるのが一般総称としての巴戦。その巴とは日本、中国、韓国などに広く見られる家紋に由来。「三つ巴」とは三つの「巴」の紋様が絶妙のバランスでレイアウトされたものである。誰しもどこかで見た記憶があるはずですよね。

川崎市宮前区秋季大会。数ブロックに分かれてリーグ戦を行い、その後決勝トーナメントを行い上部大会への切符を争うものだ。今日はDブロックのリーグ戦最終日。ここまでうちを含めて3チームが3勝1敗の戦績。今日もしその3チーム全部が勝った場合、4勝1敗の同率になるためこの「巴戦」の可能性が出て来たわけなんである。
今季冠を一つ勝ち取っている大強豪花の台フラワーズはすでに本日勝って4勝目。次の試合のマーキュリーズ。対戦相手のドングリーズに敗退したため3勝2敗となり、その時点で巴戦はなくなり、同時に実は我がフレンズの二位通過が決定となった。(同率対戦相手との勝ち負け結果を優先させるため)
巴戦に突入するともしかするとの一位優勝を狙える反面、あにはからんやの三位転落の可能性も秘めているわけで、ホッと胸をなでおろしたわけである。猛獣の追跡から逃げ切った小動物のような気分のハンペンなんである。

さて肝心の有馬フレンズ対富士見台ウルフ少年野球クラブA2。名門ウルフとはいえ、A2である。結果は15:5の快勝。ブロックリーグ6チーム中堂々の2位となった。ベストプレイヤー賞は今までのうっぷん晴らしも含めて全員に贈っちゃおう。
暗く長いトンネルをやっと抜け出したエースOtoの復活が、今大会最大の勝因。なのでOtoには特別増量キャンペーン期間中につき、星二つ贈呈しよう。
それにKohta。8番バッターで普段目立たない子だが今日の活躍は特筆に値する。
特別増量バーゲン期間中につき、これも「いただきましたっ。星ふたっ...つデス」
ええいっ、もう一丁。Hiromi。憎めないキャラの彼も普段の振り遅れ打撃がだいぶ強い打球を打てるようになったぞ。今日の数字は立派にチームに貢献してるから星ふたつ。
以下にナインの打撃成績を。
★1番Teru=5打数2安打2打点1得点。副将の面目躍如だ。
★2番Takumi=3打数1安打3得点。
★3番Nabe=3打数1安打2打点1得点。
★4番Naohiro=5打数1安打1得点。
★★5番Oto=4打数4安打3打点3得点!!
★6番Katsu=ノーヒット。普段なら5打席もあれば1発くらい強烈な長打を期待さ せる子だが、今日は珍しくお父さんが仕事の途中で観に来てくれ緊張したのに 違いない。特別セール期間中につき1個大盤振る舞いなのだ。
★★7番Hiromi=3打数2安打2打点3得点!!お母さんは仕事で試合には来れなかっ たけれど、お母さんのガタイの大きさ....じゃない、度量の深さと面白キャラに 免じて2個大盤振る舞いなのだ。
★★8番Kohta=3打数3安打4打点2得点!!
★9番Shouya=2打数1得点。でも犠打をきっちり決めてくれた。

明日は午後から練習。夜は祝勝会なんである。「常勝フレンズ」の称号を失って久しいけれど、こんなささやかな戦績でも今のチームには大きな活力源となってくれるはずだ。

2011年7月24日日曜日

勝つは長く負けるは一瞬の夏

※「晴耕雨読」から転載。

今日から我がフレンズは夏合宿である。少年野球合宿のメッカ山中湖だ。筆者の息子が入部した時も山中湖で、民宿前でバーベキューしながら夜の湖畔の「山中湖花火大会」を眺めつつ、みんなで呑むビールは最高であった。その後もずっと山中湖が続き、途中アクアラインで木更津などになったりもしたけど、3年前からまたこの山中湖合宿になった。3年前と2年前もこの同じ民宿にお世話になった。
今筆者はこの民宿にノートパソコンを持ち込み、大人たちが呑めや歌えやくんずほぐれつの大騒ぎの宴会のさなか、耳栓をしながらこのブログを書いている.......。
......んなワケない。
もし行っていれば「くんずほぐれつの大騒ぎ」の渦中に自ら身を投じているに違いない。いいなあ〜。行きたかったなあ。去年も今年も仕事その他の諸般の事情により参加出来なかった。残念至極。
日中は図面仕事。カウンターの位置を135度方向へ237ミリ移動させ、既存パイプを回避するため腰壁を950ミリクランクさせ....と、やっていたら山中湖のInoueコーチから携帯で写メを受信。筆者の心はかの地へとんでゆき、しばらく仕事中断し写真を見ながら懐かしい時を過ごす。
夜。仕事も一段落。今日はこんくらいで勘弁してやるかと、図面設計ソフト(CAD)を終了しシャワーののち、ブログへ突入。ブログネタに今頃みんなナニしてんだろうと山中湖の母たち数人へ一斉メールしてみる。返信来たきた、Inoue母から写メ付きで。(^^)合宿の夜はこんなもんである。何人かはもう寝たらしいが楽しそうだなあ。

さて今日のブログはここで終わらないんである。
60年代の秀逸なヨーロッパ映画のように、ラストで話が転換するんである。
記念誌プロジェクトチームのNi村編集長から記念誌連絡網に一斉メールが飛び込んできた。氏は筆者と同じ根っからの文系で、かつかなりの文章家でもある。記念誌メンバーの一人の息子さんが活躍したのを見て、大会観戦後いてもたってもいられず、筆を執ったらしい。
以下に文責Ni村編集長にて、最終責任者はKa原発行人におっかぶせて、一応連絡網で転載掲載をアナウンスし勝手にコピペ。
(※文中、しれっとして、ナニゲに「晴耕雨読」のパクリ的表現が出てくるのはたぶん、おそらく、私の気のせいに違いない)

記念誌仕事とは全く関係ないですが、良い試合を見させてもらったので、つい一筆書きたくなりました。
本日の松風スラッガーズ対宮崎台バーズ戦。
誰もが(失礼ながら)バーズの勝利と思っていたはずである。
その予想通り初回・2回とバーズは小刻みに得点を重ね、スラッガーズ0-3で迎えた2回の裏。
スラッガーズ打線が爆発。
肥後之守のご嫡男(5年生)のライト右をライナーで深々と破るタイムリー3ベース、日本語で言う適時打。
それらのタイムリーを含めこの回、一気に合計6点をスコアボードに叩き込む。
当初、サードを守っていたご嫡男がどのイニングからかは忘れてしまったが、満を持してピンチの場面でマウンドへ上がる。
幼名ポークビッツくん。外国人の名前のようだが、事実なので仕方ないんである。肥後之守もその令夫人もそう呼ぶから仕方ないんである。
彼がマウンドに上がってから、試合が締まってきた。
勢いのある球をミットに投げ込む。
S局長とO委員長に「あの選手、5年生ですよ」と知ったかぶりをしたところ、「え、そうなの。いい球投げるね。5年連合には選ばれてるの?」とのこと。
当たり前である。選ばれていることを知らないとは困ったもんだである。
だが今シーズンの開幕当初、優勝候補にも挙げられていた先発メンバー全員6年生のバーズもこのまま負けてはいられない。
何せ、勝ったらブロック2位が確定する大事な一戦なのだ。
スラッガーズ、いつのまにか持ち前のエラー連発で、ついに同点に追いつかれる。
しかしなんである。肥後之守令夫人曰くの「合宿では岩に登ったり、オタマジャクシを捕っていた」のはBチームのこと。
この日のスラッガーズAは違っていた。
同点に追いつかれて、勢いは明らかにバーズ側にあったのだが、その逆境を跳ね返す力がこの日のスラッガーズにはあった。
合宿の効果か、ご嫡男ポークビッツくんのレフト前への痛烈なヒットを含め、バーズを突き放す2点を奪取。
そして最終回もしっかり抑えゲームセット。
これにより、本日の県大会リスト杯で1回戦・2回戦を突破した、名門鷺沼ヤングホークスのブロックリーグ3位以下が確定。7月30日にスラッガーズがヤングホークスに勝てば、2位通過となる。
バーズの面々は、その結果を待つしかないこととなった。
リーグ戦ならではのドキドキ感、秋季大会はどの大会より理数系の脳のできを考えさせられる苦手な大会だ。
肥後之守のご嫡男の元服の日も近いだろう。
その折りには、幼名「ポークビッツ」から「幸太」と命名したらいかがだろうか。
※文責はすべて筆者(←Ni村さん←註Tessey)にあり。但し、一部の文章を「晴耕雨読」からほぼそのまま引用。いずれ、事後とはなりますが承認申請の予定です…。

それにしてもフジTVの27時間テレビ。「ホンマでっかTV」に出演の筆者の憧れの加藤アナ。それにマツコ・デラックス。
二人が並んだ時の顔の大きさの対比。まるで100メートル先の可愛い子リスと1メートル先のデブの大魔神の顔を同時に見てるようだった(^^)

それにしてもPART2。
ココロで応援していた高校野球、宮城のT高校と神奈川のT大S高校。
期待値が高かっただけにとても残念である。
3年生の彼らにとっては、長くて、かつ一瞬の夏が終わった。

2011年7月21日木曜日

3.11「心のチカラ」

※「晴耕雨読」から転載。
2011年3月11日は日本人にとって忘れられない、忘れてはいけない日になった。
今さら言うまでもないことだけれど。
なんとかして非力な自分にも出来ることはないのか。
当時そんな気持ちで焦燥感に近い感覚を覚えた人も多いのではないだろうか。
小ブログでその言葉にならない悄然とした思いを書き連ねた。
東北で震災にあった同じ野球を愛する少年少女たちへ、野球用具を送りたい。
これを宮前区少年野球連盟副会長、兼20周年記念誌プロジェクトリーダーのK原氏が読み、速攻会長へ直訴、承認、即日震災復興支援計画が成立。小生がコンセプトワークとステッカーなどのビジュアルデザインを担当、連盟副事務局長兼記念誌ディレクター通称「編集長」N村氏が綿密な実務と全体ディレクションを司り、計画は推進された。
募金をつのり全21チームから約70万円が集まる。
ヘルメットに復興支援のステッカーを貼り、公式戦を開催。この子らが大人になってもきっと想い出してくれるに違いない。

先日の第一公園に新品の野球用具が届いた。
K原副会長からの報告を以下に列記しておきたい。

ボール(軟式C号球)    47ダース
グローブ          56個
ミット           12個
バット           27本
アンダーストッキング   300足
バットケース付リュック    1個
シューズケース       20個

宮城福島両県の少年野球7市7団体に打診し、結果宮城県名取市の名取市少年野球育成会さんに寄付させていただくことに決定。こちらではまだ震災で使えないグランドも多く、他市に比べ用具も満足には揃っていないとの理由から。
かの被災地の子どもたちがこれらを受け取った時の、目の輝きと笑顔を想像しただけで勝手にちょっぴりウルッときてしまう。
20周年記念誌に載せるため早朝に写真撮影。担当は花の台フラワーズさんのN本さん。記念誌プロジェクトメンバーの一人で通称「師匠」。プロ並みの腕前はさすがのクオリティーである。記念誌掲載の写真でもこのクオリティーが大きなウェイトを占めるはずだ。今回のブログ写真は全て師匠の撮影によるもの。いつもより解像度高めの写真を掲載。N本師匠ありがとうございます。

この他いろんな人の努力があり発送まで完了。連盟の支援計画は完了したとはいえ、復興が終わったわけではない。むしろまだ始まったばかりだ。これからも同じ日本人として被災地の方たちの心を思いやり、私たちは「心のチカラ」で声援を送っていきたいと思う。

2011年7月20日水曜日

こんなフツーの野球がしたかった

※「晴耕雨読」から転載。タイムラグあり。文中「昨日」は18日(月)を指す。

こんな、フツーの、当たり前の、王道の....野球がしたかった。
いや、して欲しかった、子どもたちに。
それが秋季大会昨日の長沢ドングリーズ戦。二日連続の理想的な勝ち。

1回表Fの攻撃。先頭打者Teruが四球で出塁、2番手Inoueが手堅く送り、3番主将Nabeが左中間を深々と破るタイムリー2ベース、日本語で言う適時打。あっけなく先制点をスコアボードに叩き込む。
4回またしてもF。5番Taguchiが四球で歩き、次打者Katsuがナイスバッティングの二塁打で追加点。
ところがその裏。簡単に二死を取ったあと、Dの「エースで主将で4番」のN君がセンターオーバーの二塁打を放つと内野安打、失策、また内野安打がからみいつの間に3:2に逆転さる。いつもならここで意気消沈...。
しかしここ数試合のFは下を向かない。
6回表Fの攻撃。Inoue相手エラーで出塁、Nabeの今日2本目の二塁打で走者2,3塁。4番Otoが初球を叩いた打球はライト前ヒット...と思いきや打球が強すぎていわゆる「ライト前ゴロ」。少年野球ではよくあるプレー。しかしその間に二人の走者が本塁に帰還、2点を入れて歓喜の逆転4:3。
7回まで戦いそのまま主審の「ゲーム!」のコール。
ふとベンチ後ろを振り返れば母たちが抱き合って歓喜。その輪に筆者も加わりたかったけれど、スコアブックを天にかざしぐっと我慢。

トピックスをひとつ。「Oto劇場」の一人舞台。
4:3の僅差で迎えた6回裏二死。投手OtoがDBで出したランナーが3塁。
打者はボテボテのファーストゴロ、一塁手Onoが捕球、カバーに走ったOtoへトス。スリーアウトチェンジと思った瞬間、Otoが落球し、バッターランナーはセーフ。本塁へ突進してきた3塁走者が帰還すれば同点だ....。
Otoは落球後、すかさずキャッチャーへ矢のようなドンピシャ送球、本塁タッチアウト。チェンジ。以前なら暴投で一点か、または本塁へ送球することすらイメージ出来ずに戸惑っていたはずのチームだ。

こんな野球らしい野球を望んでいた。こんな当たり前の野球がうちは今迄出来なかったから。
日曜は粘って辛くも逃げ切り、5:3。
昨日は諦めずに逆転勝利、4:3。共に接戦を制した価値ある2勝だと思う。
夜は久々指導陣で野球を肴に野球論議。Yanagisawa代表は最近のNabeのリードや主将としてのリーダーシップを認めざるを得ないことを吐露。更に監督不在が続く中、監督代行29番Otsuboさんの采配も評価するなどして座は盛り上がる。
ベストプレイヤーは4打数3安打2本のツーベース、主将として声も出てたNabe。更に投球が安定しリズム良くチームの勝利に貢献したOto。オマケと言っては可哀想だが、最近強い打球、力の乗った球を引っ張って打てるようになったOno。憎めないヤツだ。

このブログで何度も力説してきた筆者の持論。少年野球はまず「四死球と失策」さえなければ一定以上のレベルの試合が出来る。これ絶対の基本。これをこの数試合実践して見せてくれたフレンズではある

「...フレンズではある」。なぜ「フレンズである」じゃないのか?
この一文字にに筆者の微妙なニュアンスを感じ取れる人はいまい。北極のペンギンだって頭に「?」マークを浮かべるに違いない。ブログでも幾度か書いてるけれど、野球以前の人としての基本がまだまだだからだ。挨拶。声を出すこと。コーチの話をちゃんと聞くこと。下級生を思いやること。仲間を大事にすること.....。
今の上昇機運に乗ってもっと上に行くには、この基本が生成されてなければ行けないと思う。これは我々指導者が強制的にやって成り立つものではない。仮に強制的になし得たとしても、砂上の楼閣・砂浜で作った砂人形にすぎないはずだ。子どもはもちろん、親の家庭教育の資質も問われるものだと思う。野球指導者だけでは限界があるとおもうのだけれど。
いみじくも最後グランドで代表が同じことを子らに言っていた。
弱小フレンズが宮前の台風の目、ダークホースとなるためにも。

2011年7月19日火曜日

おまえの笑顔が見たいから

※「晴耕雨読」から転載です。

夏。太陽。木漏れ日。土の匂いと球音。

3連戦初戦の昨日の試合は対花の台フラワーズ。今年は防犯大会で準優勝の強豪チーム。Bチームは春季大会で優勝も果たしている層の厚いチームである。筆者は所用で行けなかったが、夜オヤジの飲み会がありたっぷりと試合経過を聞かされた。帰宅は午前3:00。スコアは13:5で負けはしたものの、5回までは5:3で強豪相手に相当善戦だったそうだ。連盟N村編集長からもメールをもらった。今日Kanedaスコアラーのスコアブックを検証。最終6回に投手をスイッチしたあと、四球、死球、失策のあとの3連打、四球をはさんで更に安打。点数は「惨敗」だけれど内容は「惜敗」。

一夜明けて今日は神木マーキュリーズ戦。6月に北部リーグで対戦した時は、8:1のコールド負けだ。安打数では凌駕したものの、やはり四死球・失策が要因で敗退。長身のピッチャーが大きなオーバースローで振り下ろす球は威力十分。
夏をテーマに写真で点描。

2回=先頭打者Taguchiが鮮やかな二塁打で出塁、7番のKoutaが三遊間を抜くタイムリーでフレンズ先制点。
3回=内野安打で塁に出たTeruをクリーンナップのNabe、Otoが連続3塁打を放ち2点追加点。Otoはランニングホームランなるかという果敢な走塁を見せたが惜しくも本塁死。
5回表=マーキュリーズが初安打。安打、捕手の送球エラーとWPがからんで2点を返され3:2。接戦となる。
5回裏=猛打爆発!4安打、Taguchiの2点タイムリーで再び5:2と突き放つ。
6回表=問題の最終回。簡単に一死を取るものの、次打者が内野安打、ワイルドピッチ、エラー.....。筆者は観戦していないが、昨日の悪夢が胸のうちにわらわら広がる。スクイズで1失点。5:3と追い上げられる。でもとうとう2アウトだ。悪い予感と楽観視が相互にせめぎあう。でも今日のOtoは違った。最終打者をサードゴロに打ち取りゲームセット!!

先頭打者が塁に出て、
2番打者が粘りを見せ、
3,4,5番が長打で5打点を挙げ、
下位打線は安打と送りバントを決めて....「野球」をやって勝った。

今日も全員にベストプレイヤーをあげたいけれど、敢えて選出するならば、Oto。
スピードはそこそこ、でも元々制球力のない投手。ムードメーカーなのにシーズン途中からは精神的にも落ち込むことが多く、余計に負担がかかったと思う。どうしてもストライクが入らない。少し前からオーバースローからややサイドぎみに投げるようになった。スピードは落ちたけれど、嘘のようにストライクが入るようになった。サイドになって今日はまだ日が浅いのに、スピードがほぼ元の球速に戻った。緩急をつけることも出来るように。
今日は投げては2被安打、2四死球、5奪三振、打っては4番の重責も果たし、ヤツの顔に笑顔が戻った。
季節はとうに夏だけれど、おまえたちの夏は今始まったばかりだ。
今年のベストゲームの一つになることは間違いない。

2011年7月12日火曜日

ステッカーを貼った兜

※「晴耕雨読」より転載。
震災復興支援の一環として「がんばれ東北 心のチカラ」のコピーライティングで、復興の日の出(日はまた昇る)をモチーフにしたステッカーをデザインした。このブログでも幾度となく経緯を紹介してきたけれど、やっとその努力が報われた。実際に使用されてる瞬間を確認する時が、作り手の最大の喜びなんである。
昨日読売新聞が取材にきた話は書いたけれども、ここでは実際大会で使用されたシーンを掲載したい。

開会式のあと午後に試合会場である白幡台小へ移動。すでに前の組合せである名門「富士見台ウルフ少年野球クラブA-2」VS強豪「神木マーキュリーズ」戦が火花を散らせていた。早速チームを離れて「白幡台城」の「戦場カメラマン」に変身し、白球の矢をかいくぐりながらシャッターを切る。互いの陣地の武将に断りも入れずにパシャパシャ。連盟の「広報部長」の肩書きを持つ私ならば、大将たちも大目にみてくれるはずじゃて。
(※連盟の「広報部長」=嘘です。「広報」部長は嘘だけど、連盟の「後方」支援部隊長なら当たらずとも遠からず...かな)
いよいよ今度はうちの番だ。対「白幡台イーグルス」戦。
今日こそ勝つぞ...というより今日こそ勝てるぞ!の高揚感を胸に秘め、戦場カメラマンのベストを脱ぎ捨てて戦場スコアマンに変身。
更にバットの刀から身をよけ、白球の鉄砲玉をかわしながら、ステッカーが貼られた子どもたちがかぶっているカブトをパシャ、パシャ、パシャリ。
戦い終わればノーサイド。
予感的中の13:2の3回コールド勝ち。
主将のNabeだけが無安打、あとは全員安打の圧勝。しかも四死球・失策も少なかったし、みんなにベストプレイヤー賞をあげたいくらいだ。
それでも選ぶなら....中でも先発Otoはフォームに苦しみながらもなんとか四球を出さぬよう努力し、打っては猛打爆発。更にもう一人は先のキャプテンNabe。打撃ではいい当たりはするものの一人蚊帳の外だった。しかしよく声を出し主将としてキャッチャーとして、またチームメイトの一人として全体を引っ張ってくれた。負け試合でもくさらず、安打がなくても下を向かず、とても難しいことだけれど、これからもこの調子で頑張ろうぜ!
(※近日中に六本木ヒルズでの写真を掲載予定。)

2011年7月10日日曜日

梅雨明けて夏なのに秋季大会開幕

※「晴耕雨読」から転載。
梅雨明け宣言が発表された今日、「夏本番」とのマスコミ報道を尻目に、宮前では秋季大会の開会式が行われた。今年は震災の影響や20周年のメモリアルイヤーも重なり、変則スケジュールでの敢行。でもオトナたちのそんな思惑は子どもたちには関係ないわけで。みんな元気な笑顔で入場行進。
この写真はあえて掲載。自チームのことを悪く書きたいコーチがいるだろうか?出来ればいいとこだけ抽出してやりたいけれど。左はお馴染み宮前クィーンズの笑顔あふれる行進。球場の人口比率はほとんどがオトコ。その中でキュートでさわやかな風を運んでくれる彼女たち。行進もきれいだ。右は我がフレンズ。足が上がっていないしそろっていないし、あろうことか、土ぼこりまで立てて。...何をかいわんや。うちでは特に行進の練習等はめったにしないせいもあるけれど、それにしてもガッカリしちゃう。これも含めて我々指導者の責任だろうか。....う〜ん、もしかして女子チームと試合をしても負けるかもしんないぞと本気で思っちゃう。

開会式ではいつもの来賓、議員の方たち。時勢を反映してクールビズだがそれでも暑そう。来賓代表で持田県議のご挨拶のショットでは、左からNishimura副事務局長(編集長)・Sohma会長・Kasahara副会長(社長)・Ogasawara、Matsui両副会長である。背景にある横断幕の「がんばろう日本」の生地の白さがまだ、震災後の時間の短さを物語る。

先日のブログでは地域情報紙「タウンニュース」の取材を受け、それをここで書かせてもらった。その後事後承諾でタウンニュース社にはブログ掲載を快諾いただいた。そのタウンニュース社が今回も取材に。
更に今日は読売新聞社川崎支局長が自らカメラ片手に取材にいらした。連盟の震災復興支援についての取材とのこと。各チーム主将にステッカーを貼ったヘルメットや募金箱を持たせてパシャリ。
筆者もついパシャリ。近日中に読売川崎版に掲載とのことだ。

今日は対白幡台イーグルス戦。久々の内容の良い快勝、いや圧勝だった。時間がないのでこれはまた別の日にブログアップしよっと。
明日は日中は仕事、夜は久しぶりに六本木ヒルズへ...。

2011年7月5日火曜日

ヘルメットの鑑賞の仕方

※「晴耕雨読」から転載。
小生デザインの震災復興支援のステッカーが本日全チームに配られた。
このブログでも何度か書いているので詳細は割愛だけど、宮前区少年野球連盟の復興支援活動のひとつである。1,000枚近く配付。連盟のKasahara&Nishimura両氏の尽力に感謝。
早速「一級ステッカー貼り士」の免許を持つ小生が貼ってみた。プロの手技をもってしてもかなり熟練のテクニックを要するんである。なぜならヘルメットの凹凸は各チーム各メーカーによって千差万別で、三次曲面にシワや気泡を発生させずに均等平滑に貼るのは結構難しいわけで。どんだけ困難かというと、線路に立ちはだかったアルプスの少女ハイジが、爆走する機関車を止めるくらいに困難........ほどでもないけれど。それでも試合用ヘルメ14個にペチペチ貼ってなんとか完成。我がフレンズでは今年ヘルメを新調したばかり。それをいろんな角度から撮ってみた。


しかし人間の発明した「道具」というモノはやはり人間の使用に供されてナンボの世界である。じっと黙して鎮座しているモノたちも味わい深い彩りを放つものであるけど、野球道具に至ってはやはりヒトに使われてこそ、その真価を発揮しちゃうんですね。今日の紅白戦でのベストショットがこれ。

紅白戦と併行して今日は「お父さんのための審判講習会」を開催。
近年お父さんたちのチーム参加率が低く、クルマ出しや設営、審判などの重要な役割を数少ない父と母、スタッフでまかなって来た。しかしこのところ新しい子も入ってきてお父さんもかなりグランドへ足を運んでくれるようになったわけで、こんなに嬉しいことはない。どんだけ嬉しいかというと、早春の野原でアルプスの少女ハイジがタンポポの花を見つけた時くらい嬉しい。
実地訓練の試合前にNishi専任審判員がお父さんを集めて講習会。
父たちが熱中症で倒れちゃうんじゃないかと思うくらいに、Nishiさんは講義に熱中。しゃべりだしたら句読点なしに話し続ける、彼らしい講習である。紅白戦とはいえ我が子が試合に出るし、亭主も審判で檜舞台に立つし、ということで新しいお母さんたちもワンサカ娘状態、ギャラリー席も満杯である。
こういう傾向はここ数年チームの行く末を憂いていた我々指導陣スタッフにとっては、心から本当に嬉しいことなのだ。選手数50〜60人などのマンモスチームにはわからない苦労ありきなんである。

お父さんたちが各審判のポジションに付き交代持ち回りでローテーションを組み、主審も経験してもらった。中でも写真の二人は同じ沖縄出身の同い年、仲良しのKamiya&Ohshiroさんだ。この絵を見ていたら小生の昔書いたブログ「ミーアキャット」を想い出した。全く同じ雰囲気をかもしている二人なので特別編集、掲載しちゃう。
因に「珍百景ミーアキャット現象」のURLはこれをクリック(^^)
http://t-tessey9694.blogspot.com/2009/05/blog-post_4410.html
そのあとは居酒屋その2で慰労会を開催、和気藹々でオヤジどもの夜は更けていくのであった。

2014年有馬神明社初詣

2014年有馬神明社初詣
2014/01/05

2010年7月11日30周年記念式典にて