新有馬フレンズHP&BLOG

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少年野球「晴耕雨読」BLOG

☆有馬フレンズ チームプロフィール ☆

当チームは、昭和55年有馬地区で結成され、今年で創部32年目を迎える軟式少年野球チームです。毎週土・日曜など有馬小と西有馬小の校庭を中心に元気いっぱい練習していますが、お父さんお母さん達も子どもに負けないくらい一緒に野球を楽しんでいます。子どもをサポートする大人同士のチームワークもバッチリです。
活動内容は上記練習のほか、宮前区の各種大会(年間5~7)や他の大会に参加しています。また野球以外には、夏合宿やボーリング大会などのレクリエーションなども盛んに行っており、子どもたちの交流も楽しそうです。
「百聞(文)は一見にしかず」
親子はもちろんのこと本人だけでもOK、是非一度グランドへ遊びに来てみませんか。いつでも歓迎します。(練習や試合の時間・場所などご確認の上お越しください。)
過去の主な成績
★川崎市および宮前区各種大会において、優勝・準優勝多数
★マクドナルド杯神奈川県大会:優勝 
★全日本学童神奈川県大会:準優勝
★関東団地野球リーグ:優勝     
★川崎北シニア藤峯杯:優勝
※所属 宮前区少年野球連盟 
※チームは小学校の活動とは関係ありません

2012年2月28日火曜日

開幕前夜

※「晴耕雨読」から転載。
ここ何週間か仕事でグランドへ行けなかったけれど、今日の午後は久々時間が出来た。
でもやること一杯なんである。家庭内のやらなきゃリストは放ったらかし、確定申告のデータ入力やらフレンズの制作物も山積。いつも何かに追われてる指名手配犯みたいな毎日。
さて、午後は優先順位のどのヤロウから片付けちゃおうか.....。
と、頭で思いつつも、躯は勝手にジャージに着替えはじめている自分。
気がついたら小学校のグランドの冷たい土の匂いを胸いっぱい吸い込んでいた。
カラダが少年野球のシャワーを浴びたがっていたのであった。

来週はいよいよシーズン開幕。本番を前にして実戦練習に熱が入る。
シビアな見方だけれど、残念ながら小さい子の多い、うちの全体の戦力は昨年に比べ大幅ダウン。それでも楽しくも厳しく、強いチームになりたい。勝って子どもたちの笑顔が見たい。みんなでうまい酒も飲みたい。それに向けての開幕直前の練習であった。
今年からSatoh監督から新監督に就任したOtsuboさん、ノックにも熱が入る。午前中の連盟審判講習会から帰還した父たちは、早速紅白戦で審判につき実戦での復習を兼ねる。すごく良い感じだぞ。

ネット裏にデンと構えて腕組みし全体を見て的確な指示・指導をするのは、長年フレンズの歴史を支えてきた元監督、Yanagisawa代表。
「おいっ!ベン。ちょっとこい」
「はい」....すたすたすたっ....。
「あのなあ、おまえのバッティングはね.....」
Yanagisawa節健在。宮前でもノックの腕はいまだに高品位のトップクラスだ。

この一週間で制作できるかどうか。
スタメンを決めるための、作戦ボード。フレンズオリジナルのマグネット式ボードである。まだパソコン上でのデータ編集段階。
それにうちは17名の小さいチーム。この時期には求人募集、じゃなかった野球部員募集のポスター・チラシ制作が急務。ややもすると、あっという間に春休みになっちゃうわけで焦っているんである。去年のデータをいじり写真を入れ替えるだけなんだけれど、それがままならない。
来週もいっぱいいっぱいなんだよなあ。
それでもやっと、シーズン開幕前夜である。自分を鼓舞しなきゃなんである。

2012年2月22日水曜日

父母会と壮行会


最近土日、野球に行けてないのである。
中学時代イケてない芸人ではない。仕事でグランドへ行けてないのだ。
でも日曜は父母会があり、その後恒例のシーズン突入直前の「壮行会」がある。

2時まで仕事をし、3時から父母会へ。
チーム事情によりここ何年も「父母会」なるものは、我々フリーの指導者のイニシャチブによって運営されてきた。長い目で見た時に本来「父母会」なのだから父母・保護者が中心となって開催すべきだと、筆者はここ数年チームに提唱してきたんである。どんどん父母たちがリードしてチームを盛り上げる空気感が望ましいと私は思う。とりもなおさず、そういう形態が息の長いチームになりうるし、我々はそれをサポートすれば良い。現実的には子どものいない指導者たちがチームや野球を引っ張っていくのが当然としても、これが強くなりすぎると思わぬトラブルを招くことの要因になる。

要はバランスである。
二人三脚という言葉があるけれど、子ども・指導者・保護者・の三角形が正三角形を形成するべきだ。二等辺三角形じゃだめだし、イビツな図形でもいけない。まるでPTA(Parent-Teacher Association)みたいだけど、ここに子どもを中心に据えていなきゃならない。言うなれば子ども=Children・指導者=Coach・保護者=Parentで、CCPが正三角形を構成すべきだと思う。
筆者の子どもがお世話になった時代は正にこのCCP。
親たちが中心になりチームを運営し、指導者には敬意を以て野球指導に専念してもらったという自負がある。
近年は子どもの数、協力してもらえる親の数が激減したので、止む無く指導者中心のチーム体勢であったけれど。筆者は昔のことを押し付けてるのでは決してない。温故知新。古きをたずね新しきを知ることも悪くないはず。歴史を理解したうえで今の時代に即して変えて行けば良い。
筆者の念願叶い、今年から母マネ=親中心での開催となった。がしかし、若干まだ指導者側が前面に立って会議をリードした感はあるものの、これはまだ致し方なし。ちょっとずつ変化していければいいと思う。

シーズン開幕は目前。
近くのファミレスにて「ココロをひとつ」にするための壮行会を開催。
まあ、たぶん子どもたちには楽しい食事会としか理解してないかもだけれど、それもまた良し。


一人ひとり、母たちもスピーチ

続いて父・コーチたちも参戦

我々指導陣も立ってお話....子どもらはゲームに夢中か!?時代の趨勢と言えばそれまでだけれど...。

新監督=Otsubo、29番=Inoue、28番=Nishikawa
全国のみなさん、全国大会で出会った時はよろしくお願い致します(^^)

さて、このあと2次会は居酒屋その1でワイガヤの大盛り上がり大会。
今年からすでにOBとなったOno母や途中から参戦のYaコーチも加わり、話はあらぬ方向へ舵を切ったのであった。舵をぐいんぐいん切ったのは筆者。オトナの飲み会だもん。
ムフフ...その顛末は次回なのだ。
しかし詳細は書けないけれど、タイトルだけは決まっている。
タイトルはナニカと言うと...「ぞっこん」なんである(^^)
こちらの話はここでは書けないからして、「晴耕雨読」のみに掲載予定なんである。

2012年2月21日火曜日

20th記念誌Vol.10未来の記憶ノート本編

※「晴耕雨読」から転載


  未来の記憶ノート      T.Teshima

あの日のことをぼくは忘れない
大事な試合 最後の守備 緊張の場面
うなりをあげて迫る白球 ボールはグローブを弾いた
ぼくのエラーでチームは敗けた
涙をこらえ自分の影を踏みつけながら駆け戻るベンチ
みんなの顔が見られない そんな時誰かがぼくの肩をたたいて言った
「ドンマイッ!つぎ、がんばろう!」
あのときの仲間をぼくは忘れない

あの日のことをおまえは憶えているか
初めて買ったグローブ 父さんとの初めてのキャッチボール
ワンバウンドが顔に当たり おおげさに泣き出した
「やきゅうなんて、やだっ」グローブを投げ出し家へかけもどる
その晩おまえの寝顔の横には 
大事そうに置かれたぴかぴかのちいさなグローブ
翌朝目を輝かせて言った「お父さん、キャッチボールやろう!」
あの時の瞳を父さんは忘れない

あの日のことをあなたは憶えているかしら
早起きして作ったお弁当は今日はちょっと特別
だってこの日は六年最後の試合と私の誕生日が重なって
玄関を出て行くあなたの背中は何か言いたそうだったね
青の空 樹々は緑 白球が伸びやかな弧を描く
私にとっても今日が最後の応援
チームは勝ったのに 打てなかったあなたはどこか淋しそう
「誕生日のお祝いにヒット1本プレゼントしたかったけど...ごめん」
母さんはホームラン100本分くらい嬉しかったよ 涙がでるほど
あのときの言葉を母さんは忘れない

やがて少年少女(キミ)は二十歳(オトナ)になるだろう

あの頃の太陽(ひ)の光と渡る風の匂い

星が語る言葉は 記憶の海の想い出ノート

仲間(ともだち)、家族、人とひと 人の光はキミの影を強くする

絆なんて言葉は似合わなくてもいい でも

ただ キミが人を信じられるひとになろう

ただ キミは人に信じられるひとになろう

ちょっとずつ記憶を重ねていこう

目の前に広がる 白紙の海の 未来ノート

20th記念誌Vol.9「未来の記憶」予告編

※「晴耕雨読」から転載です。
※このところ転載するのもすっかりご無沙汰でした。2話連続で記載します。


荻原浩の小説に「明日の記憶」という傑作がある。
渡辺謙主演で映画化もされた。原作に劣らぬ出来映えの大好きな映画である。
「明日」と「記憶」という相反する言葉の意味合いを融合させることで、どこかしら奇妙な違和感を感じさせる。のどの奥に刺さった魚の小骨のような。

「記憶」という存在は常に「過去」に配置されるべきもので、「未来」というステージに「記憶」というポジションはあり得ない。
でも、だから良い。
子どもの未来は真っ白なノートのようなもの。
一人ひとりがその白紙のノートに、それぞれの「未来」を自ら書き込むことになるだろう。大人になった時、未来に書き連ねた言葉はやがて記憶となってキミの胸に納まるはずだ。

連盟記念誌制作ではページ数の調整が何度か行われ、途中段階でこの「詩歌」のページが生まれた。当初段階では全く予定になかったページ。Nishimura編集長の判断で小生にオファーがあり、例によって安請け合いをしてしまったものの、降臨するまでがなんと長かったことか。悶々とすること数ヶ月。どうゆうタイミングでアイディアが浮かんだのかは忘れたけれど、深夜に降臨したとたんすぐさま手元のノートに殴り書き。推敲2回。更にもう一度書いてみる。ほぼこれで完成。

子と父と母の「記憶」の物語。
数日寝かしておいて自作をまた読んでみる。.....何か足りない。
最後に第三者の目線で子どもへの「希(ねが)い」を書きたかったことに、今更ながら気づいた。そのことに気づいたとたんに、一気呵成に書き上げた。
バックには白紙のノートの写真を敷き込み、あえてモノトーンで構成。白球のボールの写真は光と影を計算してグランドで撮影し、ザラリ感をつけて挿入。

全てデータ完成したのち、最後にどうにも自信が持てず編集長へメール入稿することを逡巡(しゅんじゅん)。
信頼のおけるある人へメールで送り読んでもらった。
返信の感想はあっけなく、かつ素っ気ないものだった。ますます疑心暗鬼。
でも、かえってこれで気持ちが吹っ切れた。

次回「未来の記憶」本編にて公開。




2014年有馬神明社初詣

2014年有馬神明社初詣
2014/01/05

2010年7月11日30周年記念式典にて